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ホームグロウン・テロリズムとインターネットによる情報の選択性


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ホームグロウン・テロリズムとは


近年、テロの話題にいとまがない。2016年現在ではフランスのテロ事件が記憶にあたらしく、何か事件があるとテロとの関連性について言及されることが多くなった印象がある。そんな中で、テロの犯人の特徴として、「過激派組織に属しているわけではないが、主義主張に共感して実行に至った」、との断定や予想が報道される様も度々目にする。


過激派組織に属しているわけではないが、国外の過激派組織の主義主張に共感して、自国でテロをおこす。まさにこれがホームグロウン・テロリズムである。ホームグロウン、すなわち自国で育ったという意味だが、実行に至る要因は主に2つあると考えられている。


1つは移民が関係している。移民や移民の子孫が、故郷と移住先の国とのギャップがトリガーとなる。人種の違いや、読み書きなどの能力の差から差別されて疎外感を覚え、移住先の国に敵対心を燃やすといった構造だ。記憶に新しいシャルリー・エブド襲撃事件も、容疑者はアルジェリア系フランス人(フランスにおけるアルジェリア移民)だ。その後の国内における関連報道からも、その片鱗が伺える。



もう1つは情報の選択性が関係している。次の項目で言及しよう。


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情報の選択性


インターネットの台頭により、テレビや新聞など受動的な情報の獲得から、自分で必要な情報を探す能動的な情報の獲得へとシフトしてきた。今までの主要なメディアに加え、インターネットでは大小様々・多種多様なメディアが情報を扱い、情報の選択性は広くなったと言える。


情報の選択性は、今まで意図的に遮断されていた情報が目に触れる機会をもたらす。際して既存メディアの公平性や報道の自由度が俎上に載り、ついぞ情報の加瀬が外れたわけだが、良い面ばかりではない。


ホームグロウン・テロリズムにおいては、情報の選択性が大きな要因となりうる。情報が多くの母体から選択できるゆえに、自分の思想を肯定する情報を探すことができるのである。


例えばある人がISISの思想に共感したとして、インターネット以外の情報源では、これを肯定する情報を得るのは極めて難しい。なぜなら非常にマイノリティであり、反社会的・反道徳的だからである。しかしながらインターネットでは、マイノリティで反社会的・反道徳的な思想であっても、少ないながらも賛同する意見が必ずといっていいほど見つかる。同意見を目にしたある人は、間違っていないという安心感と共に、思想がさらに助長される。能動的に都合の良い情報を探しているにも関わらず、能動的という前提条件を取っ払ってしまうのである。


「うそはうそであると見抜ける人でないと難しい」


インターネット(特に掲示板)を使うにあたって、非常に有名な言葉であるが、前記を考えると、インターネットの難しさはこれに留まらない。マイノリティな思想であっても、紛れもない「真」なのだ。もちろん前提条件が間違っていたり、結論が飛躍したりする場合はあるが、その思想の存在は間違いなく「真」であり、厄介な点でもある。


これはテロリズムに限らず、僕達も肝に銘じておくべき点である。うそでなければいいのか。例えうそでなくとも、情報の選択を誤ると、道を踏み外すことがある。


インターネットによる情報の支配


人工知能の発展がめざましく、人工知能による職業置換、ひいてはSF的な飛躍ではあるが人工知能による人間社会の支配なども話題となっている。しかし既に、人間社会はインターネットによって支配されていると言っても過言ではないだろう。もう世界はインターネットなしでは機能しないし、インターネットによる情報形態の変化は、少なからず人間に変化をもたらし、また依存を余儀なくされている。


インターネットによる情報の支配は何も懸念ではなく、ごく自然なことだ。趨勢に大きく寄与する発明は、もれなく社会に変化をもたらした。とりわけ情報を扱うメディアでは顕著だ。たしかにインターネットによって、僕たちは情報に寄ることになるわけだが、違和感のある変化ではなく、あくまで人間はインターネットをツールとして付き合っている。


支配という言葉を使ったが、皮肉を含んでのことである。いや客観的には、支配という表現は正しいのかもしれない。残念ながら、現状では。ホームグロウン・テロリズムをはじめとする反秩序的な思想も、本質的に正誤は決定しかねるかもしれない。真実など無く、あるのは都合だ。しかし秩序の観点から、許されることではない。社会への不満は、別のベクトルで放出されるべきだ。


インターネットの支配といえる情報の選択では、ベクトルを見誤る。膨大な情報野中で見るものを選択できるからこそ、何を見るか、どう受け取るかが重要になる。ホームグロウン・テロリズムを培うような情報の選択性は、気象予報士の違いにより、多様な天気予報があるなかで、大半は雨の予報にも関わらず、自分に都合の良い、晴れの予報を掲載しているただ1つのサイトを信じるようなものだ。うそはうそであると見抜けるだけでなく、事実であってもどの側面に重きをおくのか、比較と吟味によるメディア・リテラシーが必要だと考える。


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ホームグロウン・テロリストの厄介さ


なぜ一人や少人数での犯行が多いホームグロウン・テロリストの厄介さとして、次の2点が挙げられる。


1つは少人数であるがゆえに、動向が把握しずらいという点である。多くのホームベーカリー・テロリズムは、予兆無く引き起こされる。または予兆があっても、把握が極めて困難である。武器など大規模な用意を必要とせず、マークもされいないため、事前に準備するのが難しい。さらにテロが起こったとしても、それがテロであるかの識別も難解だ。いま把握されているテロは、氷山の一角かもしれないのだ。この1つ目の点は、公安調査庁でも言及されている。


コラム | 国際テロリズム要覧(Web版) | 公安調査庁


2つ目は、はじめはテロ組織と直接的な関係がなくとも、後々テロ組織が関与してくる場合があることだ。この点に置いてもインターネットによって、見知らぬ人とのコンタクトがうんと取りやすくなった。ホームグロウン・テロリストがテロ組織とコンタクトを取り、テロ組織から武器などの授受がなされる場合がある。テロ組織からしてみれば、ホームグロウン・テロリストは都合の良い。自らがリスクを冒さなくとも、1つ目の点のように、動向が把握しずらいという利点を生かしてテロを引き起こすことができる。傀儡的でありながら、テロの犯人は射殺されることもあるため、コンタクトがあったとしても特定が難航する場合もある。またコンタクトがなかったとしても、テロ組織は「我々の犯行だ」と犯行声明を出すことも容易だ。実際は関わりがなくとも、テロが背後に見え隠れすることで、社会は関連性を捨てきれない。何もしなくとも、影響力を強めることができるのだ。


このように、ホームグロウン・テロリストには、テロ組織とは違った厄介さがある。加えて両者には相乗効果があり、由々しき問題となっている。


最後に


ホームグロウン・テロリズム、このワードは、今後増々馴染みのある言葉になっていくだろう。残念ながら、だ。社会の軋轢や文化の違い、宗教観やその国の空気など、解決が難しい面もあるだろう。しかし取り組まなければ、前には進まない。同時に、インターネットによる情報の選択性も再考し、また考え続けなければないない。ネットリテラシーがさけばれて久しいが、普及はまだ初期段階といっていいだろう。教育と個人の双方から、見直していく必要がる。無論、自戒も込めて。