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私訳俳句『向日葵や信長の首切り落とす(角川春樹)』

私訳俳句

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学校の授業で俳句コンテストに応募する俳句を考えた時くらいしか俳句に接点がなく、俳句に対して何の素養もない僕ですが、先日『伊集院光とらじおと』内で俳人の堀本裕樹さんが「俳句は人によって感じ方が違って良い」との旨のお話をされていたので、いいように受け取って僕も私訳してみようという魂胆です。はじめに断っておきますが、真面目なものではありません(笑)。


今回取り上げるは角川春樹さんの現代俳句。


向日葵や信長の首切り落とす 角川春樹


角川春樹さんがどのような意図を込めたのかは周知されておらず、インターネットの海には「意味わかめ」が漂っていました。わからないながらも織田信長と角川春樹さんとの対面から、「力強さ」や「生き様」を感じたように評しているのも度々見受けられました。みなさんはどのように感じましたか?それでは僕の私訳おば。


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一見、信長と聞けば織田信長を連想するが、そうではない。そう、ここでいう信長とは、青い短パンに白いシャツ、顔は泥んこでイタズラ大好きでお馴染み、お友達の信長君である。お友達といっても信長君との間に格別の友情があるわけではない。ジャイアンとスネオもまた、友達と称されるだろう。ここで「ジャイアントスネオ」というフードファイターが僕の脳内でホットドッグを食べているが置いておこう。ホットドッグを与えておけばおとなしい。ただしすぐに食べてしまうので目は離さないでおこう。


真夏の日差しが逃げ水をつくろうかというある日のこと。いつもイタズラ好きの信長君だがその日は度が過ぎていた。僕が貸した大事なおもちゃを勝手に改造したのだ。一面に広がるひまわり畑のなか、信長君の泥んこまみれの顔に白い歯が太陽に照らされキラリと光る。僕も呼応して、引きつった笑いを浮かべていたが、今回ばかりは堪忍袋の緒が切れそうだ。そんな時、視界の端のひまわりを捉えた。ふと、そびえ立つひまわりの花が丸鋸にみえて、想像の中で信長君の首を切り落としたのである。


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その瞬間、急に頼もしくなった。なんだ、簡単じゃないか。周りはひまわり畑だ。いつでも首を切り落とせるんだ。そう思うと、僕の顔に浮かんでいたのは、それはもう屈託のない笑顔だった。彼のイタズラも、笑って許してやろう。なんだって僕は、いつでも信長の首を切り落とすことができるのだから。


しかし、これが続くのも夏の終わりまで。ひまわりは枯れてしまうだろう。そしたらまた、僕の顔は引きつるのだろうか。いや大丈夫だ。来年も、ひまわりは咲くだろう。


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いやあ、楽しい。私訳というか、ただの連想ゲームですが(笑)。真面目に俳句を感じて、みんなで自分の感じたことを言い合うのとか楽しいんだろうなあ。今は他のほうが優先順位が高いですが、もう少し年をとったら俳句も趣味に加えてみるのも楽しそうだなと思いました。気が向いたらまたやろうかな。