勉強しろ!にやる気を失くす、心理的リアクタンスについて思うこと



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心理的リアクタンスという言葉はご存知でしょうか。

自分の選択的自由が外部から脅かされた時に生じる、自由を回復しようとする反発作用のこと。

説得者の意図した方向とは逆の方向に被説得者の意見や態度が変わることを、心理的ブーメラン効果というが、この現象の生起メカニズムを説明するものとして、心理的リアクタンス理論は最も有力なもの。つまり、高圧的な説得を受けると被説得者は自分の自由が迫害されたと感じる。その結果、自由を取り戻そうとする行動として、説得方向とは逆の方向に態度を変えるというものである。
心理的リアクタンスとは - はてなキーワード


親から「勉強しろ!」と言われ、逆に勉強する意欲が失せるという経験はないでしょうか。この心理状態の説明として、心理的リアクタンスはたびたび用いられます。


つまり「勉強しろ!」と言われることにより、自分の行動が限定され、自由が侵されていると察知し、「勉強しない」という逆の行動をとりたくなる、ということです。


頷ける点も多いのですが、少々説明不足だと思うんです。


人間の心理ってそんなに単純なものでしょうか。


専門的にはもっと正確な見地があって、一般的に世間では一部が切り取られて、「親の小言に対する子の心理状態」を説明する便利な文言として使用されているだけなのでしょうか。


僕は心理学を専門的に勉強しているわけでもなければ、心理学における一般教養の範疇に対してもそれほどの知識は有していないので、戯れ言だと思って読んでもらいたいんですが、心理的リアクタンスについて、僕の脳内にあるごちゃごちゃとしたものを書き記したいと思います。


親から「勉強しろ!」と説得された際に、被説得者の初期心理状態は2つに場合分けされると思います。


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1つはもともと「勉強する」という意思があった場合。


この場合は「勉強する意思」があったにも関わらず「勉強するように」という説得がなされたことにより、行動が他人によって限定されたことに対する反発と、他人から主体性が観測されなくなることが不満につながると考えます。


主体性というものは自己以外の意思が存在してはじめて顕出されるものです。自由の侵略に対する反発とともに、不当な評価に対する反発でもあると考えます。


反発して勉強しないことになれば、初期の意思と説得を受けての反発行動が逆になります。結果的に自己の自由は侵されたことになります。


「勉強をしない自由」の行使が、初期の意思と矛盾しています。


もう1つはもともと「勉強する」という意思がなかった場合。


この場合は「勉強する意思」がないわけですから、意思とは反対の説得がなされたことによる、自由の侵略に対する反発作用が発現すると考えられます。


しかしもともと「勉強する意思」がないので、初期の意思と説得を受けての反発行動が一致します。結果的に自己の自由は侵されていません「正当化」がうかがえます。


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これら2つの場合分けから、心理的リアクタンスについて次のような心理状態を考えます。


「自分の選択的自由が外部から脅かされた」と感じる説得がなされた時に、「選択の自由を侵されたことに対する反発作用」に加えて、「主体性の不当な評価に対する反発」または「説得者の意図とは逆の方向の状態であることの正当化」を経て、初期の自由意思とは関係なく「説得方向とは逆の方向に態度を変える」作用である。


ごめんなさい、自分には脳内にあるこの違和感を言語化するに足る語彙力と論理性がないので、これに関しても説明不足の念が拭えないのですが、言わんとしようとすることは少し伝わったでしょうか。


一応補足ですが「従って勉強しようとする場合」は心理的ブーメラン効果の生起メカニズムの説明である心理的リアクタンスの説明範疇ではないですよ。


今回の自分の見解が正鵠を射ているかどうかはわかりませんが、他の心理現象に関しても、より細分化して観測できることがまだまだあることは、当然あると思っています。


しかしマクロ的に、心理的リアクタンスの場合は「説得方向とは逆の方向に態度を変える」という具体的な目的地が観測されているので、日常生活での適用にかんしてはあまり問題ないと思います。


心理的リアクタンスは恋愛にも使えるんみたいですよ。


ロミオとジュリエットの恋が、親の妨害によって燃え上がるように。


また、自分を相手に意識させ、相手からの接触をまって、そこを軽く突っぱねる。


そのまま嫌われても補償はしませんが(笑)。