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貧困JKに見る「貧困の互換性」、問題にすべき貧困のあり方とは

時事

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貧困女子高生・NHKが炎上


貧困JKというワードを中心に、連日ネットが賑わっている。事の概要は次のようなものだ。NHKにて「貧困の現状」としてとある女子高生が取り上げられた。ひとり親世帯で、部屋には冷房がなく保冷剤をタオルに包んで涼をとる様子や、パソコンが買えない代わりに1000円ちょっとのキーボードを買ってもらってタイピングの練習をしている様子が映された。彼女は貧困状態にある子どもへの対策を検討する会議で発表をし、貧困が原因で夢を絶たれる人がいる現状を訴えた。ひとり親世帯の半数が貧困で、進学率も30ポイント低くなっており、社会的な課題となっている。しかし映像の中で、数万円する画材が見受けられたり、TwitterにてワンピースやEXILEなどのチケットや関連グッズに散財している様や1000円オーバーランチをしょっちゅう食べている様子が発見され、炎上に至った。姉と名乗る者も登場し、火の勢いは存外の持続を見せている。


炎上に至ったからには、多くの人に腑に落ちない点があったのは間違いないが、どこに怒っているかはまちまちのようだ。怒りの矛先はどこにあるのか。自明の通り大きく分けて2つ。貧困と自称しながらも、散財と捉えられる出費をしている女子高生とそれを取り上げたNHKだ。しかし、1行で説明がつくような単純明快な構造ではないように思える。


なぜ炎上したか


ネットを見ていると、うまくやりくりをすればパソコンを買えるのではないかという意見を目にする。しかし彼女にとって、パソコンは優先度が高くないように思える。なぜなら上記の通り、うまくやりくりをすれば買えるからである。学校でパソコンの授業についていけない、キーボードだけ買った、というのも「貧困」というワードからくる特に重要でない結果的なものだろう。そもそもNHKに取り上げられなければ、彼女の振る舞いは自然なものだ。「パソコン買えないよ~」「でもあんたワンピースに散財しなければ買えるじゃん!」「ぎゃはは」で終わるような話だ。しかし自然だからといって改善点がないわけではない。この点が貧困を考える上でのさわりになると思う。パソコンとコピックを天秤にかけて、コピックを選んだことを含めて、彼女が貧困問題として昇華したこと、ひいてはNHKが貧困問題として取り上げたことに、今回の炎上の蓋然性がある。


貧困によって思うように進学ができないこと、選択の幅が狭まることを槍玉に挙げる分には問題がないだろうし、社会として考えなければならない現状だ。進学には数百万円が必要になるし、パソコンどうこうとは規模が違う。しかし今回の彼女の問題提起、NHKの放送の仕方では、「互換性のある貧困」まで含めてしまっている。


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貧困の互換性


何にお金を使うかは、人の自由だ。自分の中での優先順位や、学校をはじめコミュニティでの体裁もあるだろう。だが第三者からみればその結果が互換性のある貧困に拍車をかけていることは明らかだろう。彼女の将来の夢を考えるならばアナログ画材よりもペンタブを買った方が良いだろうし(コピックはすぐなくなるしペンタブに比べてコスパ悪いよ!)、アニメ専門学校の就職先や就職率、学べる内容を考えると夢への道のりの選び方にも疑問がある。夢へは一本道ではない。貧困に阻害されるならば、別の道がある。おそらく彼女は、この互換性に気付いていない。ひとり親世帯でアルバイトによって家計を支えるとなると、所得的に貧困であることは間違いない。彼女を支配しているのはこの「貧困先行」による視野の狭さと、これに伴う問題の巨視化である。問題は場合分けをして扱わなければならない。


とはいえ、NHKが社会に問題提起としてこれを題材に放送しなければ、彼女が非難されることはなかっただろう。貧困状態にある子どもへの対策を検討する会議で現場の人々が受け取ったのは、貧困の現状であり、彼女の背景はあまり考慮されないと考えられる。一連の原因の最たるは、NHKの構成にあると思われる。一部では捏造との声もあるが、会議での発言を介している点など流れを見るに「考え及ばす」と考えるのが自然に思える。貧困の事例から問題提起ではなく、問題に合う「画になる事例」から番組を構成したことが、NHKの失策だろう。


今回「正義の」炎上があって、これに貧困の現状が埋もれるのは本末転倒だろう。改めて考える必要がある。際して、「抗いがたい貧困」と「結果としての貧困」の2つに分ける必要があると考える。「抗いがたい貧困」には社会の仕組みを変えることや、一定条件下の支援などを、「結果としての貧困」には互換的な考え方による貧困のあり方を見直す必要がある。そして残念ながら、「結果としての貧困」はありふれている。貧困に起因する自由の剥奪ではなく、自業自得ともいえる貧困が横行している。お金にはツカイドコロがある。これを吟味せず、自己改善せず、規模の大小を十把一絡げにして貧困の現状として社会に投げかけるのは違うだろう。スヌーピーがいうところの「配られたカードで勝負するっきゃないのさ、それがどうゆう意味であれ。」だ。カードの使い方すら考えずに、追加でカードを求める者は、秩序の観点から看過できない。これが彼女に怒りの矛先が向いた心情だろう。そしてこれを考慮しきれずに番組を構成したNHKには、相応の怒りの矛先が向いたのだろう。まずは貧困のあり方、貧困の互換性を考える必要があるのではないだろうか。