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意識高い系ブロガーに見る自家撞着と自己肯定感生成の初期段階における挙動

考え事 時事

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炎上はバズ?不誠実さに批判噴出


b.hatena.ne.jp


タイトルで読ませて7万円を稼いだ具体的な方法という記事がプチ炎上している。内容はバズ(炎上)とタイトルについて。この内容を書くからには、今回のタイトルも狙いがあって設定されたのだろう。だが記事の内容自体は「思ったこと」を綴っている。もし記事も炎上するように研ぎ澄まされたものならば(両刃である)、仲間内が「是非読んで欲しい」と絶賛している様が滑稽なので断言しても良いだろう。


この記事単体と炎上については看過している。目くじらを立てるほどでもないだろう。だがこの手の記事作りをしている界隈の思考については非常に興味がある。なのでこれについて少し記そうと思う。前提として、僕は彼らが嫌いではない。考え方の端々に同意できる点もあるし、前向きなところも嫌いではない。しかし記事作りと照らし合わせると、自家撞着ともとれる点が見受けられ、少し残念な気持ちになるのである。


彼らは肯定しあう


ツイッターなどをちらっと覗けばわかるが、彼らは肯定しあう。基本的に仲間内がだした意見には同意する。客観的に見て閉じていると表現されても仕方ないだろう。ではなぜ彼らは肯定しあうのか。それは肯定の強みを知っているからである。粗探しをして否定をするのは簡単だが、あまり生産的ではない。対して肯定は意見をさらに飛躍させる。しかし飛躍という言葉の通り「順を追わないでとびはなれた所へ・・・」の意も含む。肯定は否定によるそぎ落としが前提にその利を発揮する


彼らが「気持ち悪い」と称されるのは肯定に対する否定の数が少ないことによる、不自然さが原因だろう。互いを称賛しあう内輪ノリのバンドマンのようだと例えられることもある。具体的な例を出すと、彼らのうち誰かが女子高生社長を擁護すると、周りも同調し始める。女子高生社長を擁護する意見はあってしかるべきだが、「世間的に賛否両論あるもの」に対して、片側の意見しかでないのは不自然だと見なされても仕方がないだろう。


「肯定しあう」の裏を返せば、都合の悪いことには目を瞑るという側面も見い出せる。「ツイッターで意見を述べたらブロックされたんだけれど・・・」は良く聞く話である。こうして情報源を限定していくことによって、意図せず自己肯定感を得るプロセスを踏んでいる。肯定による利を受け取ることに、依存をしている状態である。


情報源の偏りによる自家撞着


情報源の偏り、そして否定の不足によって起こり得るのが、自家撞着だ。例えば今回の「タイトルで読ませて7万円を稼いだ具体的な方法」では、一言でいえば自分を安売りしている。しかし彼らの界隈ではサラリーマンに対して、「自分を安売りしすぎている」と批判する。この批判は一面では正鵠を射ているが、体現しては立つ瀬がない。これは情報源の偏りと影響、炎上の有用性に対する考え方、自己顕示欲、否定の欠如などの交錯に起因する。


これを第三者が見ると、はてブのコメントにあるように、「人生とか文章への信念が無い」、「品性を売って炎上」等々、実に滑稽に映る。しかし、彼らは否定的な意見を見ない。正論であっても有用であっても意識から外してしまう。


実質的に主体性がないのである。


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影響の授受


はてな的に炎上マーケティングという言葉を持ち出すと、イケダハヤト氏と繋げざるを得ないだろう。しかし影響の授受の違いから、ある程度分けて考えなければならない。イケダハヤト氏を嫌う人も多いだろうが、前提条件さえしっかりと考えれば、普通に有用な記事や意見も多いのも事実だ。また起点としての十分体をなしている。問題はこの影響を受ける側、前提条件を取り違えたまま自分の意見として助長する下層にある。そもそも影響を授けるのが悪だとする意見も多く見受けられるが、この点について僕は割りと肯定的である。しばしば「背中を押す」と表現されるこの影響は、被害が出ている現状があるからには批判は避けられないが、起点としてあってしかるべきだと考える。無論代替があれば越したことはない。


自己肯定感生成の初期段階における挙動


近年のはてなブロガーに置ける一連の流れは、自己肯定感と紐付けられる側面があるだろう。自己肯定感生成の初期段階における挙動そのものだ。そしてそれは、先行型だとしても正規のプロセスではないが、残念ながらそうしないと保つのが難しいのだろう。だからこそ、安易な信念の下取りも、関所が機能しないのである。詳しくは以下を見てね。(大した内容じゃないよ(・ω<))


www.ikashiya.com


インターネットを汚すな?


こういった炎上案件があると、「インターネットを汚すな」や「ネットにゴミをふりまくな」というコメントを目にする。しかし、インターネットは得てしてそういうものではないか。古来より、インターネットは良質なものであふれているような高尚なものではないと認識している。デマもあれば誹謗中傷もある。もちろん膝を打つような収穫もある。だからこそ「リテラシー」がさけばれる。個人的な認識としては、インターネットにゴミをふりまくのは結構である。決して褒められたことではなく、自分はやらぬと思ってはいるが、人間たるもの、思ったことを書いてそれが間違っていることや世間とギャップがあることは往々にしてある。だからこそ、正しく受け取る努力をしたいものである。


あと大仰なタイトルつけてみたんだけれど、どうよ(笑)。