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勉強のための勉強をしていたい~目的としての勉強~


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勉強は目的ではなくて手段だ。


なんてことをよく聞きます。勉強すること自体を目的にしてしまっては、どこに向かっているか、何を目指しているかがわからず、自己満足に留まってしまうと。確かに、世には自己啓発本やビジネス書を読み漁っては、まるで自分の言葉のようにアウトプットする人がいます。それで、あんたは何者なのさ、とつっこまれること受け合いなわけです。目的に向かって勉強するからこそ身になるわけで、目的を伴わない勉強は効率が悪く、無駄が多いとされています。弁護士になってばりばり活躍するんだという目的に向かって、司法書士試験のための勉強をするなどなど。手段としての勉強は要領を得ており、理由も的を射ています。塾としては当然の立ち位置かも知れませんが、東進ハイスクールでもそういっていますね。ですがずっと僕は、勉強のための勉強をしていたい、目的としての勉強をしたいと思っています。


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知的好奇心の範囲が、社会の枠組みにきっかり嵌まることは稀だと思います。何かの目的のために、ある分野での成長のためにのみ勉強をすると、おそらく「孤立した知識」になりがちです。言い方を変えれば「地に足の着いた知識」ですね。全く問題はないのですが、僕の価値観とは少しズレが生じます。一方で目的としての勉強は、「漂う知識」とでも言いましょうか、すぐには役に立たず、増してや一生その機が訪れることすらないかもしれません。ですがそこにこそ、僕は価値を感じます。単純に知的好奇心を満たす勉強。でも思いもよらぬ場面で、幾度と助けられたものです。無駄なものをいっぱい持っていたい、の最たる例ですね。


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勉強のための勉強の特徴といいますかメリットを1つ挙げるなら、「名前はさほど重要でない」という点があります。いや、名前は重要なのですが。名は体を表すともいいますし。ですが名前というのは、認識を共有するためのツールである側面もあります。概念をみな一様に理解し共有するための、共通言語としての名前ですね。例えば「三段論法において二つの前提が特称文であるとき、結論の真偽は保証されず、推論の形式として認められない」という概念を、「特称二前提の虚偽」という共通言語としての名前で呼ぶことで、両者にその概念の理解があれば延々たる説明を省いて伝えることができます。しかしその相手がいないのであれば、自分だけに留まるのであれば、名前に変換せずに、概念をそのままのみこんでも不利益はあまりありません。何かを勉強する際に、「名前は覚えているんだけれど、内容は説明できるほど覚えていないなあ」という経験はないですか?名前を覚えることに重点を置くのではなく、単純に概念を理解するだけでも差し支えありません。


名前というのは、共通言語として便利なツールである一方、「概念を範囲を限定して説明する」という特性があります。具体的か抽象的かわからない例を挙げます。僕達は、「上から見ると円形で真ん中に穴が空いていて、側面から見ると角丸四角形のもの」のうち、とりわけ「小麦粉に水分・砂糖・卵・油脂などを混ぜたドウを油で揚げたもの」を共通言語「ドーナツ」として認識していますが、概念だけに着眼すると、浮き輪とも穴あきクッションとも受け取れます。トポロジー的思考とでも言いましょうか、もっといえばコーヒーカップも同じ形ですね。わかりやすく物で例えましたが、考え方にも通じます。名前への変換を意識せず、概念の理解に努めると、このトポロジー的思考が働きやすくなると考えます。後付けに過ぎませんが、重要なことです。コーヒー飲んでドーナツ食べながら勉強しよう。


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また飛躍しますが、学問の発展には勉強のための勉強が不可欠だったと思います。科学の進歩に貢献した偉人たちの中には、何かを成し遂げようとしていたというよりは、次はどうなるんだ、これはどうなんだ、この場合はどうだ、世界はどうなっているんだという、知的好奇心が動力となっていた部分があったことは想像に難くありません。もちろん目的が無かったわけではないでしょうが、伝記などを読んでいると、その片鱗がうかがえます。厳密には勉強とは少し違いますが、通ずるところがあると思います。


勉強のための勉強、目的としての勉強。挙げてきた理由は正当化と言われればそれまでではありますが、紛れもなく僕はそうしたいと思っています。何かを達成するためには、手段としての勉強は欠かせませんが、目的としての勉強を時間の無駄とは思いません。僕はよく互換性だとか互換的だとか言っていますが、基準は楽しいかどうかです。これからも頭の中を無駄な知識と思考でいっぱいにして、真のブリコルールになれるよう、勉強のための勉強をしていたいと思います。