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人を嫌いになるときは一面だけでいい


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嫌いな人が多い少年時代を送ってまいりました。あの同級生が嫌いだとか、あの教師が嫌いだとか、あの大人が嫌いだとか。僕は筋が通ってないことが嫌いなので(完全に主観、これを自己中心的という)、筋に沿わない人が嫌いでした。ヤンキーぶりたいがために人を貶める人、理不尽な怒り方をする教師、表面しか見えてない大人。ですが今となっては、「嫌いな人」はほぼいません。


決して世の中から筋の通ってない(と僕が思っている)人達が消えたわけではなく、残念ながら少年時代に嫌っていた人たちは、今も変わらず一定数います。ではなぜ「嫌いな人」が著しく減ったかというと、人を嫌いになるときは一面だけでいいと思いはじめたからです。


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なにも特別なことではなく、よくいう「どんな人でも良いところがある」を根底とすると、「人は悪いところばかりではない」が伴います。今まで「嫌いな人」だと思っていたのは、「この人の嫌いな部分」にすぎないのです。人ひとりを括って「この人が嫌い」となるのではなく、「この人のこんなところが嫌い」と考えます。看過できないことがあったとして、その人を嫌いと切り捨てるよりは、分割して嫌いになることで心にゆとりが生じるだけでなく、1つの客観性の欠落も防ぎます。


往々にして、嫌いな人の言葉は聞こえません。いや嫌いな人だからこそ、聴覚的には聞こえやすいかもしれませんが、心には響かなかったり、頭ごなしに否定する傾向があります。ですが嫌いな人から発せられた情報も、「嫌い」という主観を除けば、なんら色の付いていない1つの情報なのです。他の情報と同等の価値が期待できます。人の一面にのみ嫌悪を向けることができれば、情報の公平性はある程度保たれます。完全に切り離すことは難しいので、100%とはいきませんが、聞く耳を持つのと持たないのとでは、天と地ほどの差があります。


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また他の面に目を向ける視野があることで、怒りの感情の振れ幅を狭めることもできます。2016年09月28日放送の『伊集院光とらじおと』でゲストにいらっしゃった草野仁さんのお話にもありました。温厚なイメージの草野仁さんは、もともと怒りが爆発する瞬間があったようですが、「馬が合わない・好きになれない人がいると思うけど、それはその人の良くないところだけを見ているからそう感じるのであって。その人も素晴らしいポイントをいっぱい持っているのでだから、むしろそういう風に目を向けて、その人たちとちゃんと付き合うようにしなさい」というような母の言葉があって、徐々に感情をコントロールできるようになったそうです。


馬が合わない人との関係は捨てるべきだとの意見もありますが、あまり極端になりすぎると、自分の現状の価値観に沿った人としか付き合わなくなり、変化や気付きの機会が少なくなります。心身・時間の浪費に著しく繋がる場合は考えものですが、人ひとりをひょいと嫌いのカテゴリーに放り込むのではなく、この人のこの部分は嫌い、この部分は自分の価値観と同じだというように、分けて考えることで、前記のように得られる物もあります。また嫌いというネガティブな思考にずっと留まることなく、「この部分は嫌いだけれど」と次のステップに早めにつながるため、心の余裕も生まれることが期待できます。「どんな人でも良いところがある」、は一般的によく聞く話ではありますが、忘れがちなことだと思います。これからも、「人を嫌いになるときは一面だけでいい」と思って、嫌いの感情に何かを見失わないようにしたいと思っています。