きれいな文章ときれいなワードから受ける印象



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くだらない雑記です。


人は印象に左右される生き物です。そこでちょっと思ったのが、「きれいな文章はきれいなワードからなるのか」ということ。どういうことかといいますと、世の中にはきれいな文章、つまり読みやすく美しい文章がありますね。立て板に水を流すがごとく眼の動きが止まらず、かつ意味もまとまって、すっと理解ができる文章のことだと思います。加えてきれいなワードもありますね。例えば「おはぎ」と「ぼたもち」だと、「おはぎ」の方がきれいなワードだと感じる人が多いと思います。なにしろ「お」が付いていますからね。対してぼたもちは、ぼたっとしています。きれいな文章はその文章がゆえにきれいなのか、きれいなワードを伴っているから、きれいでいられるのか。どうでしょう。


一見して「きれい」との印象を受けるのは、文章なのかワードなのか。きれいなワードを用いて読みにくい文章を書くとどうなるか、きれいじゃないワードを用いてきれいな文章を書くとどのような印象になるか、ちょっと実験してみたくなりました。


それでは・・・ファイ!


ひが~し~、きれいなワードを用いた読みにくい文章関~。


喜雨が降るんじゃよって、ぼかぁ月下美人をほかしたところじゃけえ。油照りもずずきゃあてんでそうぞうもつかんの。刈田に稲むらがならぶときゃにゃあ秋霖にもめぐまれうとおもうとったばってん、ぎょうてんのさまにゃあ棚からおはぎいっちょってもいいかあやの。えれえまたぎょうさんぶちょったねえ。購うが如くふりよるわなあ。とくとみとっても篠突く雨でまたあ稲がはえてきちょいるとおもってもうたとよ。いやあそれにしろもおめぐみじゃがなあ。


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に~し~、きれいじゃないワードを用いてきれいな文章関~。


 見わたすと、そのどじょうの色彩はぼちょぼちょした色の階調をこそこそとヒゲダルマ形の身体の中へ吸収してしまって、にょ~んと冴えかえっていた。私は苔っぽい丸善の中の空気が、そのどじょうの周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
 不意に第二の妄想が起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私を魚っとさせた。
 ――それをそのままにしておいて私は、なまず顔をして外へ出る。――
 私は変にしめった気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はうねうね出て行った。
 変にしめった気持が街の上の私をタン絡ませた。丸善の棚へドドメ色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来たでぶっちょが私で、もう十分後にはあの丸善が成人の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
 私はこの妄想を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善もぬるぬる」
 そして私はどすこい手形の看板画がのっぺりした趣きで街を彩っている京極を下って行った。


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どうでしょう。どんな印象を抱いたでしょう。西のきれいじゃないワードを用いてきれいな文章関は梶井基次郎さんの『どじょう』・・・もとい『檸檬』がもとになっています。東のきれいなワードを用いた読みにくい文章関は僕の2分で考えたオリジナルです。


結論:もっとやりようがあったろう


ちなみに蛇足オブ蛇足ですが、東のきれいなワードを用いた読みにくい文章関の内容を書くとすればこうなります。方言とかの使い方は超適当でした。


「日照りが続いたあとの恵みの雨って、いま枯れた月下美人を捨てたところだよ(実際は月下美人はサボテン科)。油も煮えたぎるほど暑い日(実際は油照りは蒸し暑い様子)が続いていたから、雨など想像つかなかったよ。収穫を終えた田んぼに稲むらがならぶ時には、秋雨がくるだろうと思っていたのに。驚きようといったら、棚からぼたもちとでも言おうか、それにしても良く降ったねえ。これまでの日照りを償うような雨だ。はげしく雨が突きおろすように降って、地面に当たって跳ね返る様は、何もない地面にまで稲でも生えたように見えたよ。それにしても恵みの雨だなあ。」


しかし、檸檬をどじょうに変えるだけで随分とマヌケな感じがするように思います。言葉のチョイスというのは重要だなという確認にはなったと思います。檸檬が爆弾たるのは、檸檬が持つ果汁が飛び散るスプラッシュ感やあの果肉感があってこそだと思います。これがバナナだとそうはいきません。爆発力低そうだ(笑)。同じ球体であっても、林檎だとまだ爆弾としてしっくりきません。やはり檸檬なんです。言葉には背景があって、その背景まで含めて言葉なんだと思わされます。


ましてやどじょうなんて、丸善もいい迷惑ですよ。檸檬ならともかく(檸檬もだめだけど)、どじょうが飛び散ったら目も当てられません。いや、どじょうを握りしめて本屋に入る時点で、アウトですが。袂の中はもっとアウトです。なにエモンだよ。どじょエモンかな。


また読みにくい文章できれいな言葉を使うのも、味があると言えば味があります。方言ばりばりで5割が聞き取れないような職人さんの話す言葉の中に、突然現れる心臓を掴まれるような言葉があるように。やはり背景や関係性などがばっちりと当てはまった時に、言葉は本領を発揮するんじゃないかと思います。きれいなワードを用いた読みにくい文章関でも、季節を夏と設定したので効果半減なのですが、これを秋と設定して、場面を刈田にしてしまえば、篠突く雨という表現がきらりと光るわけです。もう刈ってしまったはずなのに、激しい雨の跳ね返りによって稲がまた生えたような、我ながらいい表現だなあ(笑)。


これまで、あまり文章力だとか語彙力だとかを意識しないで書いてきたのですが、頭の片隅にでも留めておこうと思った次第です。どなたか、もっとうまく検証してくださいまし。おやすみなさい。