飛べない翼を持って



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翼を持っているのに、飛べない鳥はどんな気持ちなんだろう。


ブログのネタにとEvernoteに書いていた一言「飛べない翼を持って」から、ふとこんなことを思いました。もともとは「無用の長物・活用しないものでもあるとかっこいいよね、それだけで自信になりうるよね」という考え事でメモしたものが、記事を書き出したら他の想像が脱線して、今この記事として書き直しています。これがあるから一言メモだけにしてるんですよね。


鳥のアイデンティティといえば翼。そして翼は飛ぶためのもの。ですが鳥の中には飛べない鳥がいます。ダチョウ、ペンギン。少しは飛べるが羽ばたけないニワトリ、アヒル、ガチョウ。飛ぶように進化したにも関わらず、飛ぶ必要がなくなった鳥は、二次的な進化を経て飛翔能力を失う。飛ぶという行為は多くのエネルギーを要するわけで、飛ばなくても生きられるなら退化するのは進化の摂理として合点がいきます。また家禽となれば、体重が増加して飛べなくなるようです。そして家禽は基本的に飛ばなくても生きていけるしね、と思ったけれど、家禽となったからには食べられる未来が想定されているわけで、なんとも皮肉なものだとも思いました。間違っていたらごめんなさい。教えて生物マン。


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さて、そんな飛べない鳥でも、手のひらを太陽にすかしてみれば・・・手羽なわけで、他の動物の手とは随分と様相が違います。我々人間を見れば付いているものは違うし、他の鳥を見れば自分と同じものだと思います(僕なら)。で、そいつが羽ばたいた時、どんな気持ちなんだろう。自分と同じものを持ちつつも、いくら羽根を動かそうとうまくいかない。大ジャンプは出来るけれど、大空を泳ぐことはできない。そんな有様を身をもって感じます。


そんなこと言ったって、同じ人間でもピアノを弾ける奴もいれば、弾けないやつもいるじゃないかと思うかもしれません。でもそうじゃないんです。翼が翼たるゆえんは飛ぶことであり、それがレーゾンデートルなんです。飛ぶ器官としての羽根が、その役割を果たさずに、ただただ肩から生えているんです。飛べない羽根ならば、別のものが生えてきたほうが有意義じゃないですか。「birds with arms」で検索すると幸せになれます。



ちょっと考えていきますと、「飛べない翼」は人間で言う「病気・障害」と少しリンクします。例えば僕で言うと、障害としては軽いものですが、近視であったり難聴であったり。吃音もそうです。


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普通の人が流暢に話すのをよそ目に、自分ときたら詰まりながら、ワンテンポ置きながら話すしかないのです。少ししか飛べないニワトリと、少し似ています。


一応断っておきますが、障害と進化や退化を結びつけたり、表現として飛べない鳥だということではなく、例えば僕は皆と同じく目があるにも関わらず、視力0.1すらないというこの狭い範囲でリンクしているという話です。前後の話が話なので、結びつけるのは非常にデリケートではありますが、結構重要な見地ではないかと思ったので、このまま続けます。


病気・障害においても、不満足であったり、僕でいう振戦などとはリンクしないので、飽くまで狭義での話なんですが、ここでもう1度、翼を持っているのに、飛べない鳥はどんな気持ちなんだろう。この視点で考えてみると、少し分かる気がします。少なくとも自分については、ですが。もう過去の話ですが、やはり個々には「みんなは飛べるのに」という気持ちがありました。目が悪いから、ゲーム時間は制限される。耳が悪いから、人の言ったことが聞き取れない。吃音だから、話すのがはばかられる。幸い他の部分で自己肯定感が培われた幼少期~学童期でしたから、深刻化することはなく、全体としては「みんなは出来るのに自分は出来ない」ではなく、「みんな出来ること、出来ないことがあるんだ」と結論付けれたのですが、個々について人との違いはありありと感じました。さらにもう一転幸いして、青年期では中二病によって欠点は無事個性へと昇華されました


でも個々としては人と違う事実はたしかにあって、そこに視野を限定してしまうと、今度は心が飛べなくなってしまいます。畢竟、分けて考えて、認めて許容するしかないのだと思います。飛べない翼との付き合い方。残念ながら、医療による大々的な施術でもしないかぎり、翼の変わりに腕は生えません。もし本当に重荷であるならば、翼の変わりに腕を生やすのも、選択肢としてあるべきですが、少し現実的ではありません。引き合いに出すのも不安なのですが、飛べない鳥が環境に適応して飛べない翼になったのならば、僕は飛べない翼を持って環境に適応するのだ、と。さて奇しくも冒頭で触れた本来書こうと思っていた内容、「無用の長物・活用しないものでもあるとかっこいいよね、それだけで自信になりうるよね」に回帰します。僕は今、「みんなが飛べるのに、僕の翼は飛ぶ能力がない」ではなく、「みんなは飛べるという特性の翼を持っているけれど、僕は飛べないという特性の翼を持っているのだ」と考えています。あ、さてはこいつ、中二病終わってないな(笑)。いやいや、これでいいんです。幸せは主観ですから、胸に刻みつつも昇華できなければ、前進することはできません。


飛べない翼を持って、まるっとまとめて生きていこう、と思っています。


僕の脳をザルにあけて、濾し残しをぶちまけたような記事となりましたが、なんとなく伝わればいいやと思っています。実際鳥さんにインタビューしたところで、「気にしてないっちゅーねん」と返ってきそうですし、僕の頭の中で増殖した菌叢の一部を拡大して見ていただきました。みなさんはどうお考えでしょうか。


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