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温泉は異世界だ


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この記事を読んで、温泉旅行の楽しさについて文字通り三日三晩考えていました。想像の中で何百回温泉につかったことか、もう全身がふやけてしわっしわです。


温泉旅行を巨視的に総括すると、温泉・食べ物・旅行などが織りなす、一本の綱のようなもので、綱の繊維である現代日本的な「侘び寂び」(本来の意味ではない)の、飛び出した「手のひらに当たるチクチク」の心地よさを知らず識らずに味わうものだと思っています。運動会の綱引き、綱を力いっぱい握りしめたときの、あのチクチク感です。


では温泉にのみにスポットライトを当てるとどうか、これを考えていました。全身しわしわで。想像の中で何度も温泉に入るうちに、僕が感じたのは、「果たして温泉は本当に現し世なのか」ということです。そこで、「温泉は異世界だ」です。


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なぜ温泉が異世界かと申しますと、考えてみれば温泉というのはかなり異様な空間なのです。だってみんな裸なんですもの。室内だし、温泉というのはそういう施設だという先入観というか事実があるので、普通でしょと言われればそれも然りなんですが、自分の周りの空間に、裸の人が複数いる状況は、かなり特殊ではないでしょうか。当然自分も裸で、湿度が高く、湯気が立ち上り、水で満ちています。外の世界では考えられない環境です。温泉施設が室内にあるゆえ、とびらを経由する「儀式」が生じ、余計に異世界に来たと感じられます。


では異世界をどう楽しむか。とりわけ温泉という異世界では、体を清め、お湯に浸かるなど、行動はかなり制約されます。お湯が張ってあるからといって、バタ足なんて論外です。許されちゃあいません。温泉界を統べる神の、怒りの鉄拳を受けることになります。死に戻りなんて出来やしません。なので温泉では、身体活動としては「静」に徹するほかありません。であるならば、楽しむポイントは「心」にあります。温泉界の神の手のひらの上でも、心は自在ですから。そこで、真っ先に思い浮かぶのは「異世界と現し世との対比」です。


温泉にどっぷりと腰を下ろし、現し世に思いを馳せるも良し、現し世なんて忘れてしまうのも良しです。


異世界だからこそ、一歩引いたところから現し世を見ることができます。なんなら少し他人事ですよね。身体活動が「静」に入っているので、そこまでボルテージも上がらず、じっくりと考えることが出来ます。


異世界だからこそ、現し世のことなんて忘れてもいいんです。何も考えない時間。誰かが戸を引く音、シャワーの点滅、桶から床に弧を描く滝、シャンプーで髪を洗うシャカシャカ音、誰かが湯からでる音。でも全体としては静かで、ゆらゆらと揺れる水面を薄目で見ながら、色んな音が温泉の空気に包まれて、「カポーン」というひとつの音に集約されて頭に流れ込んでくる。それを合図に、頭の中が空っぽになる。頭の中がデフラグされるような、そんな心地よさに浸ることができます。


この対比があるから異世界なのか、異世界だから対比ができるのか。いずれにせよ、心が温泉ならではの状態で、その可動域が保証されます。


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以上がこの3日間、想像の中で温泉に入りまくって得た感覚の一部です。伝わるかなと思う部分を抽出して記してみました。この「異世界感」は、実際のところ、前述の「裸の環境」や、代謝・発汗・鼓動などが温泉によって普段とは違う状態になること、水による独特の倦怠感、副交感神経優位によるリラックス効果などによってもたらされる感覚だと思います。ですがこれらを条件として「温泉は異世界だ」とするのは、一つの手だと思います。だってVR(バーチャルリアリティ)だって、条件の視点ではこれとほぼ同じ構造ですからね。なのでこれから温泉に入る際は、「異世界なんだ」と思って扉を開けてみるのはいかがでしょうか。少なくとも僕はそうします。だってまだ現実の温泉には入ってないですからね(笑)。