怒る相手を間違えてはいけない



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年末で各業界が多忙の中、捌ききれない受注によって現場が混乱・パンクし、それに対するクレームが各地で噴出しているようです。



  • 参考記事

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注文した商品が届かない、不誠実な取り扱いを受ける、何時間も待たされた挙句に注文とは違う商品を渡されるなど、消費者からすると看過できないもので、クレームが入るのは至極当然です。しかし中には、従業員を呼びつけて謝らせたり、怒鳴りつけたり、無茶苦茶な注文をしたりと、クレームの域を逸した行動も見られます。同じようなことに遭遇した際にいつも思うのが、「怒る相手を間違えてはいけない」、ということです。


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怒鳴る以前のクレームについて、問題が起こった店舗や営業所に直接文句を言うことは、決して正当性に欠く行為ではありません。実態が把握しやすく、原因も調査しやすい現場にて、改善を求めること自体は批判されるものではありません。ただし次の場合は、一考の余地があります。


・統括されたシステムに不備・原因がある場合
・原因・責任の所在が把握できない場合
・現場での対処が現実的でない場合


これらが考慮されないクレームは、枕詞に「モンスター」がつくような、正当性がなく、解決に進展しない、いわば姑息な腹いせに過ぎません。このような、うっぷんのはけ口としてのクレームは、双方において生産的ではありません。その場のいらいらを少し緩和することは出来るかもしれませんが、その後得るものは意味のない謝罪と粗品、理不尽に相手の立場を下げることによる一時的な優越感、その後のデクレッシェンドのやり場のない苛立ちと空虚感です。怒る相手を間違えていますから、やり場のない苛立ちとなります。


「怒る」自体は、意思表示として有用です。怒らないに越したことはないですが、オコリドコロでは怒らねば、主体性を伴う生活とはなりません。ただし怒り方や怒るトーンは、紳士的でなくてはなりません。紳士的に怒れないならば、それはおそらくオコリドコロではないと思います。正しく問題点や自分の意思を伝え、双方にとってより良い方向への改善に向かうには、怒る前に熟考せねばならない点があります。


・怒るに足る事か
・誰に怒るべきか


前述の例でいうと、問題の所在が受注のシステムにあるにも関わらず、そして自分だけでなく多くの人が渦中にあるにも関わらず、過度に怒鳴り謝罪を求めたり、自分の注文を優先的に受理するよう求めたりするのは、上記の項目において思慮が不足した行為です。無理なものは無理ですからね。もちろん、問題が実店舗にあるか統括元にあるに関係なく、消費者は不利益を被っているわけで、怒るのは至極当然のことだと思いますし、企業はこのケアをしっかりとすべきです。ですが消費者側にも、見るにたえない対応が点在します。畢竟怒る怒らないは個人の自由ですが、双方にとって良いことはないですから、「怒る相手を間違えてはいけない」と思うわけです。


同時に、そのままにしておくと失われる時間の使い方を考え、滅多なことでは怒らない心の余裕を持ち合わせることが、大切だと思います。