「待つ」美学



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あなたの強みはなんですか?という質問に答えるとするならば、いくつかの話の流れで「待てる」という項目を挙げると思います。悠々自適に行動する一方で、気はかなり長い方で、何かに並んだり、人を待ったりすることはまったく苦になりません。遊園地で数時間待ちのアトラクションに並んだり、買い物に付き合って服を選ぶのに数時間待つことも厭わない所存でございます。そんな「待つ」美学の話を雑記程度に。


人・ものを待てるか

何かを待てるということは、それだけ自分に、心に余裕がある状態だと思います。性分もありますけれどね。短気と気長。ちょっと脱線しますけれど短気は気が後ろなのに、気長は気が前なんですよね、どうでもいいですね。戻しますね。何かを待てる心を崩さないようにすることは、自分の心理状態を管理する1つの指標になると思います。「ああ、待てなくなってるな」となれば要注意です。僕の中での話、ですが。


では無条件に気長が勝っているかというと、そうではありません。生産性は短気から生まれるのかもしれません。「もうどうにも待てない!」が物事を効率化し、短期間で成果を挙げるのに寄与してきたことでしょう。1つの視点として、欠かせないマインドだと思います。ですが「待てるけれど待たない」と「待てない」の間には大きな隔たりがあります。気長と短気の両立、これはビリオネア・マインドとしても紹介されています。



また少し脱線。こちらの本、調査のやり方については引っかかる点が多々ありましたが、読み物として面白く読めました。ビリオネアだからというわけではなく、ある立場の人がどのような考えを持っているか、どのような傾向があるかを知るのは楽しいですね。戻しますね。気長と短気の両立、もう少し掘り下げるならば短気は気長の中にあってはじめてその効力を発揮するものです。気長だ短気だというよりは、要は物事にはタイミングがあるから、いつまでも待てる気長な心持ちと、機が熟したらすぐに行動て切る短気な行動力を持ち合わせろってことなんですけれどね。


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自分を待てるか

「待つ」となると対外的なイメージばかり抱いてしまいますが、本題は「自分を待てるか」だったりします。具体的には「できない自分をどのくらい待てるか」とか。


例えば僕、このブログでは料理の記事をメインに書いていますが、最近動画も撮りはじめました。今まではまずレシピを考えてお菓子やパンを作りながら、作業の切れ間にちょこちょこっと写真をとって、完成したら数アングル撮って編集してブログに記すといった流れです。これが動画となると、レシピの段階からアングルだったり撮り方だったりも考え、材料は動画映えするようになるべく別容器で計量してから加え、動画になった時のうつり方、どのように編集するためにどんな所作をするかを確認しながら作業します。加えて動画が不慣れなので、カメラの設置に手間がかかったり、作業の効率も著しく落ちます。じゃあ動画を撮るのをやめてしまおうかともなるのですが、「できない自分」というか「手探りな自分、不慣れなことをしている自分」が、だんだん出来るようになるのを待つのが結構楽しみだったりします。手間のかかる作業も好きですし。気長に出来るようになるまで待ってしんぜよう、とるんるん気分で、普段の倍ほど時間をかけて料理していました。


その中で、慣れてくるとどんどん所作ははやくなっていきますし、どんどん工夫も生まれます。作業中の写真は動画からキャプチャすることで、両手が使えてより工程の様子が分かりやすくなったり、静止画で撮ろうと思っても撮れないカットで撮れたり、動画無しと比べて効率化できるところも見つかりますし、増えた時間は前述の付加価値と等価交換するに足るくらいには抑えられるようになりそうです。


対外的な「待つ」と「自分を待つ」の違うところは、かならず自分の中に変化があることです。人・ものを待つ場合は能動的に何かしないとただただ時間が過ぎるのみですが、自分を待つ場合は変化が終着点なのでかならず変化があります。できないからすぐに辞めてしまうではなく、できるようになるまで待ってみるのはどうでしょう、と。ただし時間は有限ですので、ツカイドコロは考えねばなりません。でも「待たない」ではなく、「待っている状態」に留めておいてもいい気がします。ひとまず止めて、時間をおいてやるのもまた「待つ」ことです。ここまでくるともう方便ですが(笑)。


「待つ」について、最近「生かし屋君って気長だよね」と言われたので、書いてみました。待つ時間、嫌いじゃないです。むしろ好きかもしれません。目的がある待ち時間は楽しいですし、目的がないならないで、空いた時間を有効に使うのは得意なほうだと思います。また「自分を待つ」に関しても書いてみました。なぜ出来るようになったのか、それは止めなかったからだと。詭弁ですが。戯言ですが。これからも、「待つ」美学をもって、気長に生きていこうと思っています。