本を読むのを諦めた



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こんにちは、生かし屋(@sakihirocl)です。最近ふっと歩みを止めて心にぽんっと浮かんだことがありまして、言葉にするのは難しいのですが、一言で言うなら「本を読むのを諦めた」が自分の中でしっくりきています。そんな話を少しだけ。


小さい頃から読書が好きで、暇さえあれば本を読んでいました。まだパソコンやゲームなどを与えられてない時代のことです。中学に入ってマイパソコンを買ってもらい、色んな娯楽を覚えてからは、どんどん本を読まなくなっていきました。それでも、人と比べるとかなり読んでいたほうだと思います。それから幾千年が経ち、今や23歳。いよいよ趣味が増えすぎて、興味があることが増えすぎて、かじっては投げかじっては投げの目まぐるしい毎日を過ごしています。料理・歌・ラジオ・アニメ・漫画・ゲーム・散歩・ブログ・カメラ・アウトドア・レジャー・動物園植物園水族館博物館美術館えとせとら。ぜーんぶやりたいけれど、ぜーんぶやっていたら時間がありませんから、いくつかの主軸は毎日楽しんで、細々とした趣味は「今日はこれをしよう」と決めてやっています。その中に読書も含まれるのですが、僕は本を読むのに時間がかかるので、「今日はこれをしよう」と決めてもなかなか進みません。


本を読むのが遅くなった、小説の「適速」について - 生かし屋さん。


読むのが遅いこと自体が問題ではなく、上の記事で書いたようにむしろ良いことだと思っています。ただ時間が限られているのに、読みたい本が多すぎるんです。まいにち まいにち ぼくらはしゅっぱんのほんが おおくて いやになっちゃうよ。およげ!何焼きくんの一節でございますけれど。どれもキャッチーなタイトルで、目を引くものばかりです。ラジオを聴いているとゲストの出版した本を面白そうと思い、パーソナリティがおすすめする本も魅力的です。趣味関連の本も読みたいですし、映像作品の原作にも触れたいところです。加えて過去に読んだ本を読み返したいとも思います。同じ本でも、その時の心の状態や環境によって全然見え方が違ってきます。僕はこの、人生のMRI的な、感性の変遷を自認することが重要だと思っています。ふるきをたずねて新しきを知る。感性のタイムマシンは幾台あれど、その中でも読書は分かりやすいと思います。


「本当は読みたい本」に対して、「実際に読める本」が少なすぎるんです。あれも読みたい、これも読みたいとチェックして、買ったり欲しいものリストに入れたりしているのですが、いわゆる積ん読や積ん読予備軍が日に日に増えています。それでも少しずつ読んではいるのですが、俯瞰で見ると「読まなければならない」という観念にとらわれているような気がしてきて、それは違うなと思って、本を読むのを諦めました。いや読むんですけれど。今までのような付き合い方ではなく、流浪に気ままに、カジュアルに読んでいこうと思っています。


世間では「本をたくさん読む人は偉い」という認識があると思います。でも僕はちょっと違うと思っています。確かに本から得られるものは果てしなく、本をたくさん読む人は教養があって色んなことを知っているというのも頷けます。ですが本を読むという行為はどうやったって受動的です。本があるってことは、誰かがそれを書いたということです。僕的には、本をたくさん読んでいる人よりも、本を書けるような体験をしていたり、独特の考え方やメソッドを持っている人になりたいと思います。ならば、本を読むのを諦めるのは英断だと、愚考します。


読書のアフターケア - 生かし屋さん。


百聞は一見にしかず。本を読むとインスタントに世界や別世界に触れることができますが、畢竟、自ら経験したり、考えに至ったりしたことのほうがより、身になりますし実になります。本を読まねばという無自覚の焦燥感と、無自覚の本至上主義は脱ぎ捨てて、存分に現実から色んなことを読んで自分に落とし込めば良いと思います。本は必要になれば読むし、読みたければ読むし、奇縁でも読むけれど、躍起になって読まなくてもよいと思います。もっと自然に、溶け込むように本と付き合おうと思います。いやはや劇的ですよ、日常は。あったぼこしゅもない個人的な感覚を縷々と記しましたが、ニュアンスで汲み取っていただければと思います。それでは!だふすとりぇーち!