誰が言ったかで自分の意見を構築したくない



スポンサーリンク

こんにちは、生かし屋(@sakihirocl)です。インターネットの海を漂っていると誰かが何かを言い、それにまた誰かが何かを言いとやり取りがが目まぐるしく渦巻いています。述懐と反応と、自分の意見の構築についてずっと思っていることがあるので少し記してみようと思います。


インターネットに限らずですが「敵が多い人」は一定数いるものです。今はTwitterをはじめ自分の意見を積極的に発信できるツールが充実していますし、「敵が多い人」は往々にして「敵を増やす機会が多い人」ですので賛否両論ある内容の発信を日々行っています。自覚のあるなしはわかりませんが、多くは「極論・ポジショントーク」と表現されるような偏った意見が多いように見受けられます。視野が狭いと受け取れる一方で、賛否両論が発端となって議論が加速することも少なくありません。必要悪との見方もできます。


極論・ポジショントークをすることと、それに対して賛否両論があることはどうでもいいと思っています。条件を度外視した極論にもーれつに賛同するのも、正確さを求めて間違いを指摘するのもかまいません。誰が賛成で誰が反対かも問題ではありません。ただこの流れを見ていると、ある人の発信に対してそのすべてに否定的な人がいるんですよね。


もちろん賛否両論ある意見でTwitterともなると140文字の字数制限もありますから、発信内容に足りないところはかならずあると思います。でも「他の人が言ったらそんなにつっかからないだろうな」という内容でさえあれこれ理由をつけてあら探しして、それをもとに自分の意見を構築しているのを見かけます。実際に親身な人が肯定的な意見を出すと手のひらを返したり、急に否定する部分に条件をつけだしたりします。


そういう人たちに対して、ダメだよなどと指摘するつもりはありません。好きにすればいいと思います。だけど自分は誰が言ったかで自分の意見を構築したくない、誰が言ったかで自分の意見を変えたくないと思っています。Aさんを否定するという視野を前提に自分の意見を構築するのがおろかなのは自明です。ミイラ取りがミイラというか、Aさんのポジショントークを否定するというポジショントークに陥りますし、主体性がないどころか畢竟Aさんに思考を懐柔されているのと変わりません。


否定だけでなく肯定も同じです。Bさんが言っているから何も考えずに賛同など言語道断。人間誰しも(ある視点から見れば)正しいことも言うし、間違っていることも言います。常に正しいことを言う人も、間違ったことを言う人も滅多にいないでしょう。意見は意見として独立させて、自分なりに噛みくだいて自らの意見に昇華させなければ主体的な思考ができないばかりか、同じ穴の狢かそれ以下に堕することになります。


ただし別に、相手の立場を理解して発言を汲み取ることも重要です。意見は意見として受け取るのと同時に、相手がどのような立場からどのような意図で発信したのかを考えることで、受け取った意見の活路が見えやすくなります。また「相手にしなくていい」こともわかります。


以上、ざっくりですが誰だから正しいとか、誰だから間違いとかナンセンスで、誰が言ったかで自分の意見を構築したくないとの旨を記しました。