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大海だと思っているものは大きな井戸かもしれない

考え事

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井の中の蛙大海を知らず。


自分が井の中にいるのか、大海にいるのか、自分の未熟さが露呈した際に、「ああ、井の中の蛙大海を知らずだ」と思うことはあっても、「自分は大海を知っているぞ、大海にいるぞ」と思うことはあまりありません。しかし、ことわざとリンクしなくとも、自分は大海を知っているという感覚、いわば慢心を抱いてしまっていることがあります。


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とりわけネットでまことしやかに囁かれている「自己肯定感を高める方法」などで、半ば強制的に自信をつけた場合、この「大海感」に陥りがちだと思います。これは「気付き」ではなく、見る範囲を限定することに起因する方法を用いる場合に見られます。自己肯定感を高めることは本来、有効的かつ効果的に視野を狭めることが伴うのに対し、問題の方法論は自己肯定感を得ることのメリットに目を向け、先行的に視野を狭めることでこれを実現しているという背景も見られます。


それでも自己肯定感を持つこと、自信を持つことのメリットははかり知れず、例え砂上の楼閣であっても、崩れる前に基礎を固めることができるほどの力を秘めていると思います。これを受けて諸方法で自己肯定感を高め、視野を限定したとしても、首の可動域を確保するという感覚が重要かもしれません。観念的なことをそれっぽく言うでお馴染み、具体的なことはご自分でお願い致します(笑)。


でなくとも、まだ井の中だという意識は、向上心を生みます。もう大海だ、井戸は出ているという意識では、現状に甘んじてしまいます。とはいえ、井戸から出たという実感も、前述の通り有用性があると思いますし、大海の素晴らしさたるや知らないのはもったいないと思います。ですから、「井戸を抜けるとそこは大きな井戸であった」なんて思ってみたり、または無数にあるほかの井戸を探したり、大海の深くにある深海に目を向けたりなーんて、言葉尻をとらえるのにいとまがありませんが、まだ外の世界があるなんて、まだ未知の世界があるなんて、わくわくするじゃあないですか。