稀有に当事者意識を持つ


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自分と価値観がかけ離れている人、それでいて諸分野で大成している人を見ると、ついつい「自分とは違う」という意識を持ちがちです。他の人が真似しにくいことをやっていたり、能力が秀でていたりするので、同じ人間であるにも関わらず、別次元にでもいるような感覚になります。一部傑出した人達が各分野の頂点に立ち、また新分野を開拓するのは、然りといったところです。


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しかしながら、そんな稀有な人たちに対して、「あの人は普通の人とは違うから」とか「自分とは違って」なんて次々と例外扱いしてしまうことは、自分の可能性を狭めることになるように思うのです。ちょうど小枝をぽきぽきと折って、一本の棒にするようなイメージでしょうか。あれも自分には当てはまらない、これも自分とは違う、と見なしていくことで、実は自分を限定しているのです。


そこで、稀有に当事者意識を持つことにしました。いわば変人たちの個性や能力、立ち回りなどを、自分を切り離すのではなく、自分ならどうするかを考えたり、「ささやき女将」として暗躍してみたり(笑)、そこに立つ道のりを自分に当てはめて想像したり。自分を限定しないだけでなく、新たな主体性を持つと、新たな個性が生まれます。その中で何を使うかは考えなければなりませんが、今まではなかった考え方が生まれたりします。


稀有を目の当たりにした時、それが自分の置かれている状況や自分の社会像との差違から、現実ではない理想として、考えるのをやめてしまったりします。「理想を語られても」なんて書き込みもよく目にします。しかし「理想」という言葉のチョイスから、潜在的な欲求が見え隠れしてなりません。稀有は「稀に有る」であって「全く無い」ではありません。世の中の稀有は結構、「重い腰」に起因していることがあります。自戒も込めて、行動するだけで達成できることは意外と多いように思います。ただただ人生を送ってきたわけではないはずです。地力は要項を満たしていて、あとのトリガーが「行動」だけということが往々にしてありました。おそらくこれからも、そして誰にでも。



読んでないのにリンクを貼る人もいるそうですよ(すっとぼけ)。


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変人を変人たらしめる個性ですが、無意識でしょうがこれを自らかなぐり捨てた普通の人にこそ、首を傾げている自分がいます。「普通に生きる」は幸せな選択の一つではありますが、選ぶのと流れ着くのとでは、意味が違うように思えます。見渡すと大時化の予感がする方角もありますが、避けるも突き進むも、自ら舵を切れるように、稀有に当事者意識を持っていこうと思っています。