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吃音症の僕が「普通に話す」ためにしていること、世間に願うこと


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人とのコミュニケーションが苦手です。


性分というのもあるのですが、主な原因がありまして。


吃音症であるということです。


吃音症って何?


吃音症をご存知ですか?


以前、『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』という吃音をテーマに扱った漫画が話題になったこともあり、またインターネットの台頭によって様々な「発信」が行われるようになったこともあり年々吃音症の認知度は高くなっていると感じています。



どのような症状なのか、ウィキペディアから引用することにします。

、言葉が円滑に話せない疾病、または障害である。「発語時に言葉が連続して発せられる」、「瞬間あるいは一時的に無音状態が続く」などの症状を示す。
吃音症 - Wikipedia


発達障害者支援法含まれ、精神障害者保健福祉手帳を取得することができうる障害者とされています。


発達障害です。


吃音症である人の割合は、5歳までの子どもで5%、義務教育にあたる学齢期の子どもで1%強、成人で1%前後となっています。


具体的な症状としては次の3つが挙げられます。

連声型(連発、連続型)
発声が「お、お、お、おは、おはようございます」などと、ある言葉を連続して発生する状態。
伸発
「おーーーはようございます」と、語頭の音が引き伸ばされる状態。
無声型(難発、無音型)
「ぉ、……(無音)」となり、最初の言葉から後ろが続かない状態。
吃音症 - Wikipedia


僕の場合、連声型、無声型に該当します。


「無声型」- 吃音症は声がでない


まず無声型ですが、頭では何を言おうか、言おうとしていることが決まっていて、脳内で言語化ができているにも関わらず、発声には至らないんです。


まったく言葉がでてきません。


言おうとしているのに、言いたいのに。


例えば相手に「ありがとう」と言いたい時に、吃音症が出てしまうと、何も伝えることができないんです。


それどころか、「ありがとう」と言おうと思って相手の顔を見ている状態で、何も言わないわけですから、相手にとっては違和感でいっぱいです。


不思議そうに首を傾げられたり、ましてやこちらがお礼も言わずに変な目をして見ていることを怪訝がる人もいます。


想像に難くないと思いますが、こういう状況は結構精神的に辛いです。


意識を無視するかのように、体が動いてくれないんです。


人間関係に影響します。


伝えたいことが正しく伝わらないのですから。


電話なんて地獄ですよ、無言ですからね(笑)。


電話先「はい、こちら〇〇です。」


僕「・・・。」


電話先「もしもし?もしもし?」


電話先「もしもーし?おかしいなぁ。」


かなりきついです。


「ごめんなさい!さっきは電波が!」


なんつってかけ直したりします(笑)。


理解がないが故に、人によってはあざ笑いやいじめの対象になります。


対人恐怖症、うつ病、自殺の原因になったりもします。


「連声型」- それでも声を出そうとするけれど


無言のまま、為す術のないまま時が過ぎることもありますが、時には無理やり声を発しようとします


どうするかというと、地団駄を踏んだり、手を大げさに振ったりするんです。


体を大きく動かすんです。


何かを振り払うかのように。


体を不自然に動かして話している方を見たことがあるかもしれませんが、こういう理由があるんです。


体を動かすなどすると、無理やりですが声がでることがあります。


さて、声が出たのはいいのですが、今度は「どもり」が待っています。


さっきの例に戻りますが、手を大げさに振って「ありがとう」を伝えようと思います。


しかし口から言葉としてでるのは・・・。


「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あり、ありが、ありがとぅ・・・」


人の目には非常に惨めにうつります。


無理やり声を出そうと力んでますから、早口で、言葉がつまって、どもります。


無声型を経由しないで、ダイレクトにも連声型がでます


僕「よ、よ、よおよよ、よよよ予約していた〇〇ですぅ・・・。」


店員「はい、〇〇様で。(くすくす)」


なんてことは日常茶飯事です。


症状には波がある


吃音症だからといって、常時言葉が出ない、話しづらいというわけではありません。


言いやすい状況、言いにくい状況があります。


特に意識していないとき、自然に抑揚をつけて話しているときなどは症状が出にくい傾向があります。


逆に意識しているとき、緊張しているときは症状が出やすくなります。


常に上記の条件通りであればまだ対処がしやすいのですが、吃音症の症状には波があるので、言いやすい状況でも突然言いづらくなる時があります


また、時々状況だけでなく、「数ヶ月は症状が軽かったのに!」と、長期間においても波があります。


言いにくい言葉にも波があります


昨日は「ね」が言いづらかったのに、今日は「な」が言いづらいといったことが起こります。


このように、症状が出る状況や言いにくい言葉が不定なので、具体的な対策、これさえ意識すればといった策がないという側面もあります。


吃音症の治療法


病気であるからには治療法があります。


言語療法や呼吸法、心理療法など、実際に治った、改善したという事例もあります。


しかし医学的な治療や研究はあまり進んでいません。


なにしろ原因からして不明ですからね。


同じ治療法でも、効果は個人により大きく幅があります。


普通に話すためにしていること


生きていると、話したくても話せたくても、「話さないといけない時」があります。


また、「話すほうが良い時」もあります。


そんな時、僕達は様々な方法を駆使して、なんとか話そうとします


いくつかあるので一部を紹介します。


言いやすい言葉を探す


「あ、これ出ないな」と思ったら、瞬時に類語を探します。


結果、少し変わった言葉のチョイスをしてしまうことがあります。


「おまえの言葉遣い、面白いな!」


なんてなったらラッキーです。


大抵の場合は親近感を欠く効果を招きます。


微妙なニュアンスの違いによって本意がうまく伝わらないこともあります。


最初の1文字を省略する


アルバイトをしているときによく経験しました。


僕、「ありがとうございました!」の「あ」が言えません。


日によっては言えるのですが。


なのでいつも、「りがとうございました!」と言っていました。


アルバイトの「ありがとうございました!」なんて「したー!」でも伝わるので、幸い不利益はあまりありません。


地獄なのは「り」も言えない日です(笑)。


「がとうございました!」になるのですが、把握する前の一発目は不自然な間が生まれてしまいます。


また、どうしても「あ」が頭をよぎって結局言えない時もあります。


意味のない言葉や一文をはじめにいう


「あー・・・」や「えー・・・」など、普通に使っている方も多いので違和感なく使うことができます。


言いやすい言葉を見つけて間をつなぎます。


文書を付け足したりもします。


例えば、「高橋さん!」と言おうと思っても、「た」が出ない時は・・・。


「えーと、誰でしたっけ、そうそう!高橋さん!」というように文章で間をつなぎます。


この「誰でしたっけ」は僕がよく使う方法の一つです。


もちろん人は選びますが。


「なんで覚えてないねん!」と「お決まりのボケ」として認識してもらうと楽になります。


抑揚をつける


抑揚を意識すると、症状が出にくくなります。


不思議なことに、僕の場合は歌を歌うときには一切症状が出ません。


抑揚をつけて話す、加えてゆっくりと話すこと、腹式呼吸で息をしっかり吐いてしっかり吸うことを意識すると、かなり話しやすくなります。


吃音症の改善策と秘匿策とのズレ


前章の普通に話すためにしていることというのは、いわば自分が吃音症であることを秘匿するための策です。


目的は普通にコミュニケーションをとることですが、吃音症が障害となるめ秘匿します。


さて、吃音症と「心の持ち方」にはある程度関係があるわけですが、これを加味すると改善策には次のようなことが挙げられます。


・吃音を隠さない
・言葉を置き換える習慣を辞める
・怖がらずに話す


複数の吃音症が改善したという方の体験談にも基づきます。


でも、これらは僕が「普通に話す」ためにしていることの逆のことなんです


自分が吃音症であることを隠して、怖がって十分対策して、言葉を置き換える習慣をつける。


そこには、そうせざるを得ない世間の認識があるのです。


世間に願うこと


年々吃音症の認知度は高くなっていると冒頭で述べましたが、まだまだです。


「知っているだけ」が大半だと思います。


「僕、吃音症なんです・・・。」


「え?室温がなんだって?」


バーカ、バーカ笑。


僕はもういいんです。


22年も付き合ってきて、色々と割り切っています。


カミングアウトもしますし、幸い、周りも理解の深い方が多いです。


でも吃音症が原因で、バカにされたり、いじめられたり、果てには自殺してしまう方もいます。


特に子どもは残酷ですから、仕方ないことですが、無邪気に馬鹿にします。


吃音症は見た目でわかりません。


なので認知されていないと「ただの滑稽なひと」になってしまいます。


ゆえにみな、吃音症を隠すのです。


隠すには、吃音症の意識がつきまといます。


吃音症は精神と関わりが大きいため、隠すことは改善につながらず、多くの場合は横ばい、もしくは悪化をまねきます。


世間に吃音症が「ただの滑稽なひと」ではなく、「当たり前にいる言葉が話しづらいひと」と認識され、吃音症の人がみな、精神にゆとりをもって言葉を発することができれば、吃音症はもはや障害ではなくなると思います。


そのためにも、少しでも吃音症を知ってください。吃音症の人がいることを理解してください。実際に目の当たりにしたときに、当たり前にいる人として接してください。


ここまでコンプレックスのように綴ってきましたが、正直言ってもう僕にはこの言葉の話しづらさが愛おしいのです。


だからこそ、いちいち目を丸くされるのも、他の方のコンプレックスになるのも、世間が障害として特別視するのも、ちょっと嫌なんです。


でもまずは障害としての特別視でいいです。


どんどん認知されて、そこから大小様々な議論を経て「当たり前にいる人」へとなっていく。そんな趨勢になれば、吃音症にネガティブさがなくなれば、そう僕は思っています。


興奮して、少し主観的に、少し感情的に記してきましたから、支離滅裂になってるかもしれません。


ここまで読んでくれた方。


「よかったら吃音症という名前だけでも覚えていってください!」


なんて茶目っ気もだしつつ、少しでも意識を持ってくる方が増えることを願うまでです。