社会人としての向上心と個人としての向上心って違うんだなって



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チラ裏感満載でお届けしますが、最近社会人としての向上心個人としての向上心の違いについて思うことがありました。


ある日、目上の人に「君は結果を出しているけど、向上心が足りないね。もっと向上心を持たなきゃ。」と言われました。これに対して僕は少し驚いてしまいました。なぜなら自分では向上心を持っているつもりだったからです。なんならもう向上心の塊のように思っていました(笑)。


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僕は絶望的に社会性がないので、働き始めて3年間も気付かなかったのですが、社会人としての向上心個人としての向上心って違うんですね。いや水面下では気付いていたはずですが、意に介していませんでした。


多くの場合、職場で求められるのは社会人としての向上心でした。組織としての統制や相互の影響を考慮して、社会人として会社のために、時には自分を無下にしてでも、職場で推奨(という名の強制)されることに寄り添うことが求められます。


対して僕は、自分が楽しいやり方で、自分の理想像に近づくための研鑽をしていました。「近道をゆっくりと歩く」を100ある座右の銘の1つにしている僕の動作は非常にゆっくりと見えます。しかし工程は吟味と試行錯誤を重ねているので、人よりはやく、丁寧に仕上げることができます。手法を共有することに価値を見い出していないので、これを職場のスタンダードを据え置くつもりもありません。加えて楽しく好きな仕事をしているので、いつも薄ら笑いです。これが社会人として向上心がないように映るのでしょう。


多少拙速になろうともスピードを上げ、楽しむために効率を落としている工程を最適化し、コツなどは共有し、一丸となって生産性を上げるように努めることが求められる向上心なのでしょう。でもそれじゃあ僕は楽しくありませんし、自分の成長とはベクトルが違ってしまいます。いわゆるマックジョブのようなことはしたくないですしね。自分のための仕事を僕は望みます。そのために好きなことを仕事にしています。しかし好きなことを仕事にしているからといって、職場で周りの人間が奔放性を良しとするとは限りません。


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徐々に自分で稼げるようになり、今は月に半分も他人の干渉がある職場では働いていないのですが、どのような仕事に置いても人間関係はなんらかの形で発生します。そのときに社会人としての向上心が求められるのは、瞬刻ではありますがなんだか肩身が狭い思いがします。


だからなんだという話ですが、僕はこれからも個人としての向上心を持って仕事に興じたいと考えています。社会人としての向上心なんてクソ食らえだ!もう気にしません。


社会性によって自分を律し、個人としての向上心をないがしろにしていませんか。いえ社会人としての向上心を尊重するほうが、生きやすいかもしれません。あなたはどうしますか?