LGBT検定に違和感 理解のシンボライズは異端の意識から生まれる



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Twitterを眺めていると、トレンドにLGBT検定なるものを発見しました。概要を見てみると中々に杜撰で、憤慨する意見も多々みられました。感じた違和感を、少し記してみようと思います。


LGBT検定とは


jlga.or.jp


LGBT検定とは、日本セクシャルマイノリティ協会が実施し、LGBTに関する理解を促すことを目的とした資格です。初級~上級があり、初級の検定料はなんと税込みで42984円。2時間×3回の簡単な筆記試験に合格すると、LGBTバッジと初級の講座修了書がもらえるようです。


正解はあるのか


一番大きな声は、LGBTの在り方に正解はあるのか、です。検定というからには、ある質問に対して答えを定めなければなりません。答えは誰が決めるのでしょう。そもそも答えはあるのでしょうか。性とはこうあるべき、セクシャルマイノリティとはこうであると、定めることは出来ません。そして定めることができない部分こそが、LGBTにまつわる意識の中核ではないでしょうか。


理解を叫ぶことと異端の意識


LGBT検定の概要を見ると、理解という言葉が多様されています。『一定レベルの知識と、理解しようとする気持ちがある事が、誰からも見える』ことを検定の価値としているようです。ここにも、多くの方が違和感を抱いたのではないでしょうか。確かにLGBTが当たり前に受け入れられる社会を実現するのに、多くの人の理解が必要です。しかし、私たちは理解しますと声高々に宣言すること、理解を象徴するものがあることは、対象が異端である意識があり、境界線を強調するのと同義であると感じます。誤解してもらいたくないのですが、理解を深めるのはもちろん必要なことです。ただしそれをシンボライズするには異端の意識が付随します。LGBTにおける理解とは個々から異端の意識があたりまえになくなることであって、統率された価値観に準じてそれを掲げることではありません。


目指す社会に、LGBT検定はあってはいけないでしょう。あたりまえのはずのLGBTに、なぜ検定があるのでしょう。前項の正解を定める違和感と合わせて、この自家撞着が違和感の一旦を担っています。もちろんまだ道半ばで、理解のある社会を目指すために理解の象徴はあっても良いと思います。ただし高額なお金を取って、一般化し難い問題に正誤を定める検定がベターであるとは思いません。


利益目的ではないか


検定料の高さから、利益目的ではないかとの思いも、違和感に拍車をかけていると思います。運営や活動に資金が必要なのは理解できます。善意を掲げる活動だからといって、営利活動をするなとも思いません。しかしこの検定の運営に4万円の検定料が必要だとは思いません。資格商法だと揶揄されてもしかたがないでしょうし、善意を掲げる活動に営利が見え隠れすると、大衆は「ばかばかしさ」を抱き、陳腐に感じます。


まとめ


理解のシンボライズにとどまるならいざ知らず、LGBTにまつわる理解に正解を定め、しかも資格商法が見え隠れするLGBT検定は問題を陳腐化し、むしろ逆風にすらなりうると思います。噴出している意見の傾向を見るに、足を引っ張ることになると思います。担当者の感度の低さ、意識の不足が伺えます。センシティブな問題なだけにバランス感覚のある手法を打ち出してもらいたいですね。