モデル化はどこまで通用するのか


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2016年、「林先生が驚く初耳学」にて林修先生が「モデル化」の話をして以来、理解の有無は別にして、「モデル化」という言葉が一歩外へ、人口に膾炙した印象があります。「社会で活躍するために」をテーマに据えた番組内で、林先生は大事だと思う科目に数学を挙げ、物事の仕組みを単純化して考える力、すなわちモデル化できる人が強いという旨を話されました。他に解決・想像・群像の感覚など、前後の脈絡がある中でモデル化に焦点をあてていることをはじめに断っておきます。


さてモデル化ですが、これまでこの概念を知らず、また自然と習得するにも至らなかった人にとっては、当然ながら画期的とも言える概念です。しかし画期的な概念は、個人の中でしばしば神格化されます。なのでモデル化・シンプリフィケーション(単純化)はどこまで通用するかという話。すでに心得がある人にはあったぼこしゅもない内容ですので、ぶぶ漬けを食べていただいて、「モデル化すげー!とにかくモデル化だ!」という人に向けた内容です。


モデル化とは


デジタル用語辞典には次のように載っています。

業務を効率よく行うために、現状を調査し収集したデータをもとに、データと処理の流れを図式化したもの。モデル化を行うことによって、複雑な業務の流れや構造を直感的に表せる。
モデル化 - 意味・説明・解説 : ASCII.jpデジタル用語辞典


つまり、物事の仕組みを単純化し、分かりやすく汎用性を持つ形にすることをモデル化といいます。この記事で言うモデル化とは・・・ですが。説明の仕方は様々だと思いますので、記事を読みながら感覚的に理解していただけると幸いです。


違う言い方をすると、複雑なものを逐一確認していては埒が明かないから、汎用性のある「軸」を残してある程度とっぱらい、理解しやすく、扱いやすくすることです。ちょうどモデル化の説明で林先生が番組で紹介されていた本がありまして、よくモデル化を扱う際に参考文献として取り上げられています。僕としても馴染みが深い本でしたので、例に漏れず触れていきたいと思います。



料理の四面体


その本が、『料理の四面体』。



この本はもともと1980年に刊行されましたが、絶版と復刊を繰り返し、2010年に中公文庫版が刊行されています。

英国式ローストビーフとアジの干物の共通点は?刺身もタコ酢もサラダである?アルジェリア式羊肉シチューからフランス料理を経て、豚肉のショウガ焼きに通ずる驚くべき調理法の秘密を解明する。火・水・空気・油の四要素から、全ての料理の基本を語り尽くした名著。オリジナル復刻版。
Amazon 料理の四面体 (中公文庫)


本書では、料理の一般原理に介入している基本要素を、火・水・空気・油の4要素であるとし、それぞれを頂点とした四面体の基本モデルを、「料理の四面体」として、あらゆる料理はこの「料理の四面体」に落とし込めるとしています。調理法や国・文化の違いが蓑になり、なかなか見えづらい料理の共通点がオモシロク説明されています。その具体例については是非本を読んでもらいたいので割愛し、さわりの部分、基本モデルとして呈示されている料理の四面体を用いて記していきます。


あと料理の四面体を語りたいがためにこの記事は無駄に長くなり、要領を得ない、まさにモデル化にいたらないことを先にお伝えしておきます(笑)。


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実際の図がこちら。火と水のラインを煮物のライン、火と空気のラインを焼き物のライン、火と油のラインを揚げ物のラインとしています。底面は火が干渉しないナマものの世界です。


煮物のライン上、火に近いところから蒸し焼き、蒸し煮、煮物、スープとなっていきます。これが焼き物のライン上だと、グリル、ロースト、燻製、干物となります。揚げ物のラインでは、煎り物、炒め物、揚げ物となります。すべての料理は頂点となる4要素の組み合わせによってなり、四面体のどこかに位置するのだといいます。本の例をそっくりそのままだと面白くないですし、本は読んでいただきたいので、少し自分で例を出して考えてみます。


まずは簡単なものから、野菜炒め。野菜炒めはフライパンに油を入れて、火の通りの悪い材料から順に投入し、文字通り炒める料理です。つまり火と油を結ぶ揚げ物のライン上、油の量はそれほど多くないことから、少し火寄りの位置でしょうか。いやいや野菜から出る水蒸気で蒸し焼きのようにもなっているじゃないかというならば、揚げ物のラインから少し煮物のラインに寄せてあげればいいでしょう。


少し複雑な料理にしてみます。カツ煮はどうでしょう。カツ煮は、まず豚肉に衣をつけて揚げ、調味した煮汁で煮て、卵でとじた料理です。揚げ物でも煮物でもあるから・・・揚げ物のラインと煮物のラインの中間でしょうか。いや、そうはなりません。先ほど、底面をナマものの世界としましたが、正確には「調理前」となります。つまり、これから調理をする何かを底面とし、そこから料理の四面体を適用するわけです。ここからカツ煮を考えてみます。


まず下処理。豚ロースの筋をきり、下味をつけます。まだナマものの世界です。続いて小麦粉をはたき、卵にくぐらせ、パン粉をまとわせます。まーだナマものの世界。さあいよいよ揚げていきます。170℃の油できつね色になるまでこんがりと揚げます。この時、料理の四面体で揚げ物のライン、とりわけ油寄りに位置するでしょう。さて揚げている間にだしを調味し、いよいよ煮るわけですが、料理の四面体では、サクッと上がったトンカツを底面として再び考えるのです。なれば簡単、煮物のラインのちょうど真ん中くらいに位置付けできるわけです。あとは卵を流し入れて少し煮て、半熟のいい塩梅で仕上げれば、美味しいカツ煮の完成です。揚げ物のラインでの位置をA、煮物のラインでの位置をBとすると、さしずめカツ煮は「AB豚ロース」となります。もっとわかりやすくするならば、「AB豚ロースwithたまご」でどうでしょうか。ここからがモデル化の真骨頂です。


便宜上、揚げ物をA、煮物をB、炒め物をC、蒸し煮をD、グリルをE、ローストをFとしましょう。


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「AB豚ロース」の一例がカツ煮でした。では「AC豚ロース」はどうでしょう。豚ロースを底面とし、なんらかの料理以前の処理をし、A―揚げ物にし、C―炒め物にした料理とはなんでしょうか。例えば、豚ロースを細切りにし、同様に細切りにしたピーマンとたけのこも用意します。これらをさっとA―油通し、熱した中華鍋に油をいれてC―炒めます。オイスターソースと醤油をベースとした調味料で味付けをして、最後に化粧油を少量垂らせば青椒肉絲(チンジャオロース)のできあがりです。「AC豚ロースwithピーマン&たけのこ」だと分かりやすいですね。


さてモデル化の話。これらは、カツ煮を「AB豚ロース」に、青椒肉絲を「AC豚ロース」にモデル化したわけです。カツ煮は豚ロースを揚げて煮た料理、青椒肉絲は豚ロースを揚げて炒めた料理だと。それで、モデル化したからといって、何になるのかという話ですが、「AB豚ロース」と「AC豚ロース」は共に、カツ煮や青椒肉絲だけではありません。A―揚げるに際して、衣はつけるのか、つけないのか、つけるとしたら小麦粉だけか、たまごか、パン粉か、パン粉だとして香草パン粉にするか、粉チーズを加えてみるか。B―煮るに際して、何で煮るのか、だしで煮るか、トマトで煮るか、クリームで煮るか。C―炒めるに際して、どの程度火を通すのか、何と炒めるのか、何で炒めるのか。このように、同じ「AB豚ロース」と「AC豚ロース」から、無限にレパートリーが広がっていくのです。


つまりカツ煮を「AB豚ロース」としてもモデル化し、このA―揚げる・B―煮るという手順を踏むことを主軸に示したモデルをもとに、様々なアウトプットが行えるのです。


このモデルの面白いところは、例えばアトランダムに「CFAB豚ロース」のように決めると、新しい料理が出来上がることです。やってみましょうか。まず表面を短時間C―炒めてリソレ(表面を強火でしっかり焼いて旨みを閉じ込める技法)します。それからオーブンで中心温度が高くなりすぎないようにF―ローストします。それをカットし、パン粉をつけて高温でパン粉がきつね色になりつつ中に火が通らない程度にA―揚げます。それを洋風に仕上げたシャリアピンソース(玉ねぎのソース)で下半分だけさっとB―煮ます。すると、「シャリアピン・ローストポークカツ」の出来上がりです。美味しいかどうかは、知りません(笑)。


複雑なものを論理的に整理し、モデル化して考える、モデル化したものは汎用性があり、それを軸に多くに適用できる、というところをなんとなく分かっていただけたかと思います。さてここからが本題。


モデル化・シンプリフィケーションはどこまで通用するか


モデル化の意義


長々と例を用いて、モデル化とはこういうもので、こういう使い方ができるという旨を記しました。その中で、モデル化の意義はどこにあるのか、考えていきます。


もう1度確認しておくと、モデル化とは物事の仕組みを単純化し、分かりやすく汎用性を持つ形にすることです。汎用性を持つ、一つのものを広くいろいろな方面に用いることができる性質です。違う言い方をすると、具体例から共通の「コア」を見つけることです。つまりモデル化する時には、複雑なものを単純化する工程で、「使いやすさ」を追求しなければなりません。


さほど複雑でないものならいざしらず、本当に複雑なものをモデル化するには、「どこをどの程度取り払うか」が問題になります。一口にシンプリフィケーションといっても、その結果はもとが複雑であればあるほど多様を極めます。なので、モデル化が大事だというよりは、モデル化してどう使うかが大事なのです。そしてうまく使うには、うまくモデル化することが前提条件となります。



『料理の四面体』内でも触れられていますが、「料理の四面体」と似たモデルに、「料理の三角形」があります。これはフランスの社会人類学者 クロード レヴィ=ストロースが呈示したモデルで、三頂点が生のもの、火にかけたもの、腐ったものとした、三角形で表現されています。目指すものは違えど、(クロードアニキには申し訳ないが)料理をモデル化したものと捉えてみます。様々な料理を当てはめてみて、どちらが汎用性があるかを問えば、当然「料理の四面体」に軍配が上がります。極端な例でしたが、このように同じモデル化でも、使いやすさには差違があります。


整理すると、モデル化の意義は、「使える」というところにあります。もっと的を射るなら、「浅く広く使える」でしょうか。数多の具体例からコアを特定するのは実際のところかなり難しく、「モデル化が重要」など表面をなぞった啓発に、どれほどの意味があるのだろうかと思わされます。そこで数学的思考の積み重ねが大事だよ、そして組み立てるのには国語も大事だよと林先生は言ったわけですが、上記のように、ここにはかなり行間があるのです。「さあモデル化するぞ」といって、一朝一夕でできるようになるわけではありません。


複雑なものは複雑なまま


基本的に、複雑なものは複雑なまま理解できるほうがよいのです。モデル化の意義は「使える」だとしました。汎用性を持たせるということは、横の広がりには有用ですが、縦の広がりには滅法弱いのです。


なぜかというと、シンプリフィケーションに際して取り除いた部分こそが、そのものの一意性を司る部分であり、理解や琢磨の深度に寄与する部分だからです。もう1度、料理の四面体に話を戻して考えてみます。


モデル化を語る際に料理の四面体において、卵料理の例がよく引き合いに出されます。再び例に漏れず、卵料理を引き掛けてます。卵とシンプルな調味料のみを材料にした料理は、ゆで卵・目玉焼き・スクランブルエッグ・炒り卵・ポーチドエッグ・卵焼き・オムレツなど多岐にわたります。


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再び先ほどの図を参考に(点を決めてしまっているのでかなり大雑把にはなりますが)、それぞれを料理の四面体に適用しますと、ゆで卵は「B卵」、目玉焼きは「C卵」、スクランブルエッグは「C卵」、炒り卵は「C卵」、ポーチドエッグは「B卵」、卵焼きは「C卵」、オムレツは「C卵」です。


料理の四面体の本文から引用しますと、目玉焼きは「タマゴの姿炒め」、スクランブルエッグは「タマゴの崩し炒め」、オムレツは「タマゴの崩し炒め固め」となり、それぞれ「C卵」の派生であることが分かります。またゆで卵とポーチドエッグは同じ「B卵」で、その違いはB―茹でる以前に殻をむくか、茹でる以後に殻をむくかの違いだとわかります。(もちろんポーチドエッグは底につかないように水をかき混ぜ、凝固を促すためにお湯にお酢を加えたり細々したテクニックはあります。同様にゆで卵も殻のヒビから漏れないようにお酢を加えたり、黄身が偏らないようにかき混ぜることから、奇しくも同じ所作を行っているあたり、非常に面白いですね。)


さて前述の通り、新しい卵料理を開拓する際に、料理の四面体は有用です。料理以前、料理以後の操作や、上記の「姿」や「崩し」のようにそれぞれに対する扱い方を変えれば、無限のレパートリーを生むことも夢ではありません。(美味しいかどうかは腕の見せどころです。) もう1つ「浅く広く使える」というモデル化の意義を加味しますと、「浅く」という表現の真意が見えてきます。


つまりレパートリーは増えども、それぞれの料理に対する理解や琢磨の深度は、一定の深さ(コアの可視)に達してしまえば、モデル化としてはあずかり知らずだということです。目玉焼きを「C卵」とし、「タマゴの姿炒め」として固定してしまうと、テクニックはその表現止まりになります。では美味しい目玉焼きを作るにはどうすればよいか。本題です。


まず「どのような目玉焼きが美味しいのか」を考えます。これは好みですが、「底が程良く色付いており、かと言って焦げで苦くなく、白身はふっくらで、黄身は表面に膜は張っているが、中心に行くに従って半熟度合いがますような目玉焼き」を美味しい目玉焼きとします。この状態に目玉焼きを仕上げるには、フライパンの温度が高すぎず低すぎず、また卵を割った後に極力広がらないようにする必要があります。卵黄球が衝撃に弱いことも考慮せねばなりません。つまり卵はできるだけ低い位置からフライパンに割り入れ、その際に流れすぎない前に底面が凝固し、尚且つ黄身が半熟になった時点で底が焦げすぎていないように温度管理をする必要があります。また途中で水を加えて蒸気による加熱も行いますが、この際の水の量・温度によって当然フライパン内の環境は変わってきます。多すぎると沸騰によりタマゴの表面の美しさを損なうことになりますし、少なすぎると蒸気が足りず、表面の火の入りが足りなくなります。ここには割り入れた際の卵の温度も関係します。冷蔵庫から出してすぐの卵を使うのか、常温に20分程度置いた卵を使うのかも考えねばなりません。よって目玉焼きの美味しい作り方は次のようになります。


1. フライパンは卵が触れた瞬間に凝固をはじめる温度まで上げ、濡れ布巾などでフライパン底の温度を均一にすると同時に、温度の上げすぎも防ぐ(同じ理由でフライパンは厚手のものがいいでしょう)
2. 薄く油を敷き、できるだけ低い位置からフライパンに割り入れる
3. 適当な量の水を入れ、フタをする(水の量は卵の温度、試行錯誤の結果と経験に基づく)
4. 五感を駆使し、水が蒸発する音が油との小さなぱちぱちという音に変わり、またタマゴの焦げができる寸前の匂いがしたらすぐにフタを取って皿に盛り付ける


当然、目指す目玉焼きによってこれは変わります。白身・黄身の食感の組み合わせて、別々にフライパンに入れることも視野に入りますし、黄身の黄色が映えるように焼くならば水は加えずフタもせず、ごくごく弱火で焼く必要があるでしょう。


先ほどモデル化と琢磨の分離?そんなの自明だし簡単じゃないと思った方も多いかもしれませんが、たった「C卵」で表現される目玉焼きでさえこれです。比べると、社会で対面する問題は複雑を極めます。どうして適切にモデル化し、明確に分離することができるでしょうか。だからこそ、適切にモデル化するためにコアを見極める眼力と、モデル化・シンプリフィケーションはどこまで通用するか、そのニアリーな解を持つためのバランス感覚が必要なのです。


自分の中で神格化された概念とは厄介なもので、人の視野を狭めます。モデル化が~単純化が~という人に、それぞれの深度はどうするのかと問うと、怪訝な顔をされます。横の広がりを重要視するモデル化において、深度など省くべき「無駄」だからです。


線引はどこでするか


では複雑なまま理解する場合、モデル化して理解する場合について、どのように判断するのかを考えます。これまでの流れを汲むと自ずと見えてきます。モデル化の意義は「浅く広く使える」、つまり「きりがない」ものに対して有用です。具体的には、「複雑なものを一旦単純化して、問題の所在を明らかにする」ときや、「問題の根幹を抽象化して、他の問題と紐付けて考える」場合にも有用です。


例としては「前置詞の使い方を具体的な用例ではなく、モデル化してイメージを捉え、広く使えるようにする」や「ニュースで話題の社会問題をモデル化すると、別の社会問題との関連性が見えた」などです。さらに具体例として、前者では「forは目的に向かう途中というイメージで捉える」、後者では「若者の貧困とプレミアムフライデー、消費の可否と消費の増減」などです。


モデル化はその性質から、「伝える・説明する」における初期段階にも有用です。複雑なものはそのままでは伝わりにくいので、一旦モデル化して伝えることで、説明される側はイメージ・リンクがしやすく、理解がスムーズに進みます。ここで大事なのが「初期段階」というところで、「伝える・説明する」においてモデル化だけに留めてしまうと、「浅く広く使える」がゆえに伝わったイメージ・リンクが幅を持ってしまい、肝心な所ですれ違いや理解不足を招きます。


なので線引というよりは、「どっちも使う」ことになります。「広げる」においてはモデル化を使い、「深める」においては任意に点を見定め、モデル化で取り払う部分を重要視することが必要です。料理の四面体でいうと、料理の構造や調理の特性を理解し、レパートリーを増やしたり要点を捉えるのにモデル化は有用だけれど、個々の料理に関しては個々で掘り下げなければならないということです。一応ですが、料理の四面体の著者はこの点も理解していることを伝えておきます。


さいごに


なぜこれほど言葉にすれば容易な内容について、長々とモデル化だけじゃだめだと推すかというと、一つは料理の四面体について語りたいという理由、もう一つは美味しい目玉焼きの作り方をお伝えしたいという・・・・いやいや実際にモデル化至上主義な人がいたからです。料理の四面体を用いて、モデル化は横の広がり、任意の点については掘り下げましょうといえば簡単で、そんな当然なことと馬鹿にするかもしれませんが、前述の通り実社会で対面する様々な問題の多くは、「適切なモデル化」が容易でないのです。モデル化する際には、モデル化する際に取り払う情報も考慮し、いい塩梅に着地させるバランス感覚が必要で、それを使うときにもまた、センスと表現されるような構築力が必要です。


この絶妙なセンスは、「場合分けの技術」と言っても良いかもしれません。日々様々な社会問題が乱立し、それぞれに対して声を上げる人は数多くいますが、多くの人が問題の一面しか見ずに称賛・批判しているか、なされるべき場合分けがなされておらず、異なる問題を一絡げにして扱っている場合がほとんどです。場合分けができるというのは、それだけで人々の一歩先から問題を見ることができ、問題の扱いに精細さが伴います。その根幹にある(意図的に置く)のが、「モデル化の塩梅」なのです。


またこの横の広がり、縦の深度は、ラテラルシンキング、ロジカルシンキングともリンクします。ラテラルシンキングは水平思考と呼ばれるように、発想を広げる力です。ラテラルシンキングとロジカルシンキングは対になるというよりは、どちらもどちらの一助になると言ったほうが適当です。だからどうだと発展させるとまたキリがないので、ここではモデル化をモデル化した例として、ラテラルシンキング・ロジカルシンキングとのリンクを記しておきます。


なぜモデル化を語るのに、長々と要領を得ない文章にしたかといいますと、長い文章はニュアンスを伝えるのに適していると考えたからです・・・と言い訳しておきます。はじめてモデル化という概念に触れる方に向けて、拙筆ながらモデル化というのはどういうもので、有用なものだけれど使いみちはこうで、というのを記したつもりです。「あの人は飲み込みがはやい」と言われる人は大抵モデル化を使いこなしており、「あの人は的を射た発言をする」と言われる人はそれを言語化しています。


適切にモデル化し、それを自在に扱えるように、「見える人」になりたいものです。