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「自分勝手な人」の救いと「担任」というシステム 『VIVO!』

漫画

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人・組織・社会・・・それぞれには都合があって、立場があります。多くは個か集か、そうかそうでないかに二分され、社会的であろうとすれば、どちらかにつくことを余儀なくされます。一種の防衛本能のように、その間に「漂う」ことは、概して良い居心地ではありません。



ですが、漂うに然る人がたまにいます。どちらの立場にも立てない人には、どちらの立場にも立たない人が、時として必要かもしれません。生徒を中心に考える教師、学校を中心に考える教師、そのどちらでもないナカムラという教師・・・男が登場する、瀬川藤子さん著『VIVO!』


 あらすじ 自己至上主義のナカムラは、高校教師として赴任することになった。「俺に迷惑さえかけなければいいのでこの一年好きに自由に生きて下さい」「分かるわきゃねぇんですよ 生徒のことなんて」という彼と、さまざまな生徒たちとの交流が描かれている。


生徒のことを考える際、ひとりにだけ与するわけにはいきません。全体として調和を取ることが、生徒を中心に考える立場であって、どちらの立場につこうと、社会に内包された学校としての像を守る、ひとつの立場をとることが求められます。生徒を中心に考える教師は、生徒個人から見れば決して知己ではありません。桜梅桃李ではなく、桜桜桜桜を目指すのが、今の教育です。だから、立ち行かない人が確実で出てきます。


そんな人にひょこっと脇道を作ってくれるのが、「自分勝手な人」だったりします。「不干渉」だけれど、「不関心」とは少し違う、どの立場でもなく、「自分の立場」に気ままに立っている「自分勝手な人」。もちろん漫画で描かれるのはうまくいった例で、その陰には他の生徒への影響もあるのですが、生徒の多様性に対応するには、教師にも多様性が必要なのだと再確認できます。


ここでちょっと思うのが、「担任」というシステムについて。思えば教育課程の子供にとって、「担任」による影響はかなり大きいものではないでしょうか。漫画の中でも登場しますが、担任が原因で学校に来なくなってしまった人が、僕の周りにもいました。逆に、担任が変わったから、学校に行くという人もいました。他にも、担任が原因で特定の科目に興味をなくした人、勉強が楽しくなった人、進路を決めるきっかけになった人。学校生活を送るにあたって、担任を介するアクションは、なにかと多いと気付きます。


担任はおのずと1つの色を持っています。「自分勝手な人」の救い以前に、ここにも危うさがあるのではないでしょうか。担任のあり方も、学校教育の課題の1つとして、議論していかなければならないでしょう。


そんな考えをはじめ、1つの色を示すナカムラと、まさに十人十色の生徒たち。色に染まるではなく、混ざらないところはとことん混ざらず、混ざるところは混ざって、新しい色として人生の1ページを彩ります。ナカムラ自身は、ただただ自分勝手で、でもそこには主体的な考えがちゃんとあって。関わる生徒にも、それぞれの色と考えがあって。それぞれの絶妙な交わりが魅力的でした。全3巻、気になった方は読んでみてください。