先日、「糖質制限ではなく糖質分離へ」という記事を書いて、その中で「夜ごはん」という言葉を使ったのですが、これに対してブックマークでコメントをいただきました。
「×夜ごはん ○晩ごはん」
夜ごはんじゃなくて晩ごはんだよ、と。見て瞬刻、「ああ、気にする人もいるんだなあ」と思ったのですが、ちょっと気になったので思いを巡らせてみました。
晩ごはん、夜ごはん、夕ごはん・・・どれを使う?
確かに昔から使われているのは「晩ごはん」で、「夜ごはん」のポジションは俗語に留まります。しかし少なくない家庭や地域によって使われているのは事実であり、最近では書籍・新聞・メディアをはじめ様々な場面で使われています。例えば通販サイトAmazonにて「夜ごはん」と検索をかければ、夜ごはんがタイトルに含まれている書籍がいくつも並んでいる様子が見受けられます。
また2次的な情報ですが、MBSのホームページで記されている田丸一男アナウンサーの「田丸一男のことばエッセイ」にてこのような記述があります。(【MBS】田丸 一男アナウンサーより)
全国の新聞・通信・放送でつくる日本新聞協会の新聞用語懇談会で「夜ごはん」について議論されたことがあります。「夜ごはん」という言葉に対しては、そのまま使う社が6社、他の表現にする社が14社。認める6社のうち5社は新聞だったそうです。放送局はほぼ認めていません。
「アナウンサーが使うと『幼く』聞こえる」との意見もあったそうです。確かに「夜ごはん」は、字で見るより口に出すほうが『俗語』のイメージが強いかもしれません。
さて本記事の主旨はこの「『幼く』聞こえる」という部分ですが、ひとまず置いておきます。(一方で一歩外に出れば普通に使われていたりもします。―テレビ朝日 アナウンサーズ アナウンス部ch.) 以上のように、「夜ごはん」はすでに市民権を得ているといっても過言ではありません。
やりがちなやーつですが、一応辞書を見てみましょう。
晩御飯(バンゴハン)とは - コトバンク
夕御飯(ユウゴハン)とは - コトバンク
晩ごはんは晩飯を丁寧にいった語で、夕ごはんは夕飯を丁寧にいった語。それぞれを見てみると、当然ながら「晩の食事」、「夕方にとる食事」と記されています。
さてさて夜ごはんは辞書には載っていません・・・というのは過去の話。
夜御飯(ヨルゴハン)とは - コトバンク(以下、コトバンクより)
夜の食事。晩ご飯。夕ご飯。
[補説]比較的、近年になってできた語とされる。
ネットですけどね。では「晩、夜、夕」それぞれの意味はどうかと掘り下げがちですが、これはあまり意味がありません。夜のほうが範囲が広いので、社会的に食事を摂るのが遅くなったなどさまざま考察を巡らすこともできますが、「呼び名」として使われるにあたって、多くの場合その背景は加味されないからです。
ここまでは一般的に使用されているかいないか、もう一歩進めてみましょう。
夜ごはんは「夜」と「ごはん」から成り、それぞれの意味と関係は既存の「晩ごはん」や「夕ごはん」と同等に妥当性があり、地域または家庭で自発するに難くなく、蓋然性があります。晩ごはんではなく夜ごはんとするデメリットが、相互性のあるもの以外にないゆえ、これを「正しい日本語」の立場から否定することはできません。一般的な誤用または新語批判の見地ではなく、実態は辞書至上主義的な、生き物としての言語を否定しかねない見地ではないかと思います。晩ごはんはただ「昔ながらの言い方」として正当性があるだけで、「正しい言い方」として夜ごはんを否定するには到底至りません。「正しい日本語」を大切にするのは美しいことですが、一昔前の「ら抜き言葉批判」などとは特性が全く違っており、言ってしまえばもはや「方言批判」寄りの立場に陥っています。
辞書編纂の立場などまだまだ話に花が咲きそうですが、これ以上は仕方のないことでもあります。なにしろコメントは「×夜ごはん ○晩ごはん」のみですし、これが正確に何を示唆するか分かりかねます。日本語を大切にされているのでしょうし、ある立場から(意図的か恣意的か)特定の言葉の使用を「推奨」されていることも想像できます。ですが「正しい日本語」という立場からの訂正であれば、上記をもって否定できます。場合分けのされていない一辺倒でありがちな「正しい日本語」または「正しい文章」へのちょっかいとして、はじめに少し記しました。コメントをくれた方がそうだと言っているのではなく、想定した立場に対して、もう1つの立場から書いた次第であります。
ラジオを聞きながら文章を書き、文章力や正しい日本語など二の次、誤字脱字は日常茶飯事、ラジオの内容から脈絡のない言葉をひょこっと使ったり、または省いたりしているような僕ですから、なんちゃってって感じです。
さて、僕がなぜ「晩ごはん」ではなく「夜ごはん」を使ったのか、日本語の響きの話。
日本語の響きとイメージ
はじめ、俎上の記事は、「朝食 昼食 夕食」の並びで書いていました。ですが専門的に裏付けされた記事ではなかったので、とっつきやすい響きにしようと、「朝ごはん 昼ごはん 晩ごはん」の並びに変えました。まだちょっと引っかかります。
「朝ごはん」と「昼ごはん」に比べて、「晩ごはん」にはかわいらしさが足りない気がしたんです。晩だけ表情が違って見えました。体はみな「ごはん」でかわいらしい感じなのに、朝・昼に比べて晩だけ、顔が厳ついんじゃないかと。ちょうどこんな感じ。
はじめてブログでイラスト載せたかも(笑)。人によるでしょうけれど、よく見ると表情が違いますよね。そこで次の候補が「夕ごはん」か「夜ごはん」になるわけですが、うちでは「夕ごはん」を使う習慣がなかったので、「夜ごはん」にしたというわけです。
これでばっちりです。「朝ごはん 昼ごはん 夜ごはん」のかわいらしい並びになりました。と、いうのがいきさつです。
日本語の響きは面白いもので、ツールとして同じものを指すのに用いているにもかかわらず、言葉が与えるイメージに差違が生じます。朝食と朝ごはんでも違いますし、同じ言葉でも「朝ごはん 朝ご飯 朝御飯 アサゴハン 朝ゴハン」など漢字・カタカナ・ひらがなの使い方によっても随分と違うイメージになります。朝ごはん>朝ご飯>朝御飯のように言葉の柔らかさが違ったり、アサゴハンは朝ドラや昼ドラのタイトルにありそうだとか、朝ゴハンは雑誌名っぽいとか、人によってもイメージが全然違うと思います。また朝餉や大床子の御膳(どちらも朝に限らない)など特定の状況を指す言葉もありますね。
先日より文章に関するエントリーが注目されていました。
http://www.nubatamanon.com/entry/2017/01/18/230330
改行のはなし - はてな編集部ブログ「編む庭」
空間やリズム以外にも、社会的時代的背景によって形成される、言葉や文章のもつ響きやイメージも、多大な寄与があると思います。
ただしこれらの難しいところは、質感の一般性が保証されていない点です。空間の感じ方にせよリズムにせよ響きにせよ、多数の適用できるモデルはあるものの、感じ方は一様ではありません。
僕がかわいらしさの統一という理由で「晩ごはん」を「夜ごはん」に変えたとして、僕の中に鎮座する「美しさ」など黙っていて伝わるはずもなく、視点が変われば崩れ去ります。文章や言葉の美しさなんてものは陽炎稲妻水の月、形は見えますが、誰もとらえることができません。そして見る角度や場所によっては、そんなもの見えやしないのだと思わされます。
なーんて真剣な話ではなく、縁側で茶でもすすりながら(マンション住みだけど)、「面白いなあ」という話でした。目新しい話でもありませんし、これくらいで。これからも、エゴたっぷりだけれど、楽しく書いていければいいかなと思っています。
幼児語とか歴史性とかは、承知の上です。