僕が受験勉強をやめて指定校推薦を選んだ理由



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大学に入学するにあたって、僕は指定校推薦を選びました。


指定校推薦にはあまり良いイメージを持っていない方が多い、という印象がありますが、今回はなぜ僕が指定校推薦を選んだのかを記したいと思います。一応大学の受験生を対象に書いていきます。自分語りが多くなることをはじめに断っておきます。あと、1年という言葉を多様します(笑)。


指定校推薦1




指定校推薦を選んだ理由


僕の通っていた高校は進学校とは名ばかりで、国公立への進学率は低い数字に留まっていました。高校3年生の春、進路選択に際して僕は大学進学を選びました。となるとどこの大学に行くかという話になるわけですが、教師からは東京大学か京都大学を勧められました。前述のとおり名ばかり進学校だったので、学校としても実績が欲しいという面もあったのでしょう。3年の春の時点で模試の判定はC判定でした。


「勉強すれば十分合格できる。」


教師はこう言いました。僕も同意見でした。しかし、僕にとっては「勉強しないと合格できない。」ということのほうが重要でした。


進学という選択をした受験生にとって、高校3年生の1年間はとても重要な1年となります。真の進学校はもっと前から取り組むでしょう。どれだけ学力をつけて得点をのばせるか。そのためにどれだけ勉強をするのか。どんな勉強をするのか。大部分の受験生はこの高校3年生の1年間を受験勉強に費やすことになります。


僕はそれが嫌でした。


高校3年。18歳。青春まっただ中。思春期の集大成。この1年間を受験勉強に費やすのが嫌でした。18歳の感性は唯一無二のものなのです。どの年齢についても同じことが言えますが、とりわけ青春、思春期です。考えること、感じること、後にも先にも同じものは味わえません。


僕は上記の点で、この1年間に大きな価値を見出していました。勉強よりも、より多くのことを経験して、様々なことを考え、色んなことを感じたいと思っていました。


客観性はないかもしれませんが、決して受験勉強から逃げることが目的ではなく、天秤にかけた上で判断しました。決断するにあたって年単位で吟味もしました。勉強すること自体は嫌いではありませんし、知的好奇心は旺盛でした。受験勉強よりも自分が知りたいことを勉強したいという気持ちの方が勝りました。もっと多様なことを享受して、心を動かしたいという気持ちの方が勝りました。


もちろん、大学に進学するからには、入学後どうするかも考えて然るべきです。ですから、どの大学で何を学ぶかを吟味しました。幸いながら東大京大以外で条件に合い、自分の学力では十分妥当なレベルの大学はみつかりました。そして両条件である「勉強しなくても合格できて、自分の興味のある分野についてある程度の水準で学べる」大学を受験先として選びました。


大学を決定した後、僕が考えたことは、「合格するのであればわざわざ試験をうける必要はない、推薦入試にしたほうが確実で時間もかからない」ということです。


指定校推薦「呼んだ?」


指定校推薦2




青春をどう生きるか


ここまでの経緯が「僕が指定校推薦を選んだ理由」なわけですが、この記事で僕が伝えたいことは、「高校3年生の1年間をどう使うかをもっと考えてもいいんじゃないか」ということです。


これは僕の価値観なんですが、青春の1年間を受験勉強ばかりに費やすのはもったいないと思うのです。いえ、受験勉強よりも大切なものが青春にはあると思うのです。繰り返しますが、その時に味わった経験や読んだ本などに抱く感情や考えはその時にしか味わえないのです。本人次第ではありますが、そこで享受したものは今後の人生に大きく寄与すると思います。


もちろん将来のことを考えることも大切です。具体的なヴィジョンがあって、そのために大学で学びたいことがあり、自分の未来図につながるならば、その大学に入るために尽力すべきでしょう。就職をはじめ、社会的な恩恵を受けるためにも大学が重要なのも事実です。受験勉強から逃げるためという消極的な動機で青春を隠れ蓑にすることは、何かを掴まんとする掌が空を切る結果になることが想像に難くありません。


僕はよく現在の意思と未来への打算についての話をします。僕自身は現在の意思を重視するタイプです。誤解を恐れずに要約するならば、「その時点の自分は、その時発揮できる最大限の思考をもって十分に審議した上で決断したはずだ、と未来視点から観測できるという勇気付けをもとに、未来への打算よりも現在の意思を尊重する。」といったところです。詳しくは過去に恥ずかしい記事を書いているのでどうぞ(笑)。


そこで受験生には「未来のことだけでなく、今にも目を向けて欲しい、その上で十分考えて選んで欲しい」と思うのです。人生のどの時期に重心を置くのかは人によると思います。何も将来だけが重要ではないでしょう。今も、今が、将来につながっています。


まとめます。


漠然と大学に行く、そのために1年間は受験勉強に費やす。その前に、自分は将来どうなりたいか、そのために今なにをすべきか、本当にこの1年間を受験勉強に費やして良いのか、他にやりたいことはないかを考えるべきだと思います。高校3年生の1年は二度と来ない1年で、この1年を何に使うか、考える余地があるべきだと思います。現状、受験勉強に費やすことについて無条件に看過しすぎているように感じるのです。


そして受験勉強をしないという選択をするならば、当日のテスト実力ではなく、自分のもっている学力を考慮して大学を選べる指定校推薦という手もありますよ、という話でしたとさ。


指定校推薦3


指定校推薦は大学で勉強についていけない?


ついでなので指定校推薦に対する悪いイメージにも触れておきます。


受験生、または大学生ならお馴染みの「指定校推薦で大学に入ったやつは勉強についていけない」という常套句についてです。


事実、事例は結構あります。僕の大学の同級生でもいました。入学当時「僕も指定校推薦で入ったんだよ~!」と友情を押し付けてきた方がいました。僕は教室の前のほうで授業を受けていたのですが、はじめのうちは彼も同じ位置で授業を受けていました。彼はとにかく宿題を写したがり、僕の答案を求めてきました。鬱陶しく思い、宿題を見せなかったら、別の友だちと後ろのほうの席で授業を受けるようになっていきました。


夏休みがあけて、彼は大学を辞めました。


授業についていけず、単位を致命的に落としたようです。他の指定校推薦で入った方も成績は芳しくなかったようです。でも中には好成績をおさめている方もいました。僕も全教科で上位1割には入っていました。


この差は何なのかといいますと、地力と関心だと思います。特に僕の学部は理系だったので、この差が顕著に出たのだと思います。


まず地力ですが、自分の学力と著しく差がある大学を選択してしまう場合ですね。差を埋めるのは難しいです。指定校推薦なんか廃止しろ!という声が上がるのもこれが原因です。


なので、自分の学力に見合った大学を選ぶ、もしくは学力の差を埋める努力をすることが必要になります。後者については本末転倒感がありますが、大学で学ぶことに見通しがついているならば、必要なことだけ学習することで、効果的に学力の差を埋めることができます。


続いて関心ですが、漠然と大学に行きたいという動機ではなく、大学に行ってこれを勉強したい!という内発的動機づけが必要だと思います。関心をもって取り組めるならば、学力の差なんてなんてことないと思います。


これが好きだ、これがやりたいんだ、という動機で動いている人間は強いです。


これら2点を考慮した上で大学を選ぶべきだと思います。関心で学力の差が埋まると前述しましたが、大学では残念ながら関心の外側に在りうる様々な科目を履修する必要がありますから、地力も考慮すべきだと思います。


残念ながら大学の名前やレベルに惹かれて安易な考えで指定校推薦を利用する方は結構います。割りとすんなり卒業できるという事例もあるのですが、地力も関心も必要としないレベルの授業ってどうなんでしょうか。


指定校推薦を利用する方は、地力と関心について考えてみてください。


指定校推薦4


良き指定校推薦に


自分の伝えたいことがうまく伝わっているのか心配なんですが、なんとなくでも伝わっていれば幸いです。わかんねーよという方は「こいつ頭ん中お花畑だな!」とでも思っちゃってください。


僕にはとても青春の1年を受験勉強に費やすことができませんでした。今から考えても自分にとって良い選択だったと思います。正当化ではなく、ちゃんとその時得たものが生きていると感じます。


考えてみると結構変なことじゃないですか。1年間頑張って受験勉強するぞ!を自然に受け入れるのは。別の選択肢もあって然るべきで、人生における受験勉強の重要度も一様ではないと思うのです。


指定校推薦から検索していただき、意外と多くの方に読んでいただいているようです。この記事の主旨は「勉強なんかしないで青春しようぜ!」ではありません。大切な青春の過ごし方を自分で考えよう、選択肢はあるよというものです。逃げるのではなく、選ぶのです。良き青春を送れるようお祈りします。


まあこの後、僕は大学を辞めることになるのですが。けれどもこれは別の物語、いつかまた、別の時に話すことにしよう。


追記:大学中退についても書きました。