いい機会なので書いてしまおうと思います。僕は大学に1年通って中退し、現在は独立して料理・写真のお仕事をしています。
向上心は持ちながらも、今自分が良しとする現状にあるのは、大学を中退してやりたいことをやろうと決断したからだと思っています。そこで僕が大学を辞めた理由と中退する時に考えたことを記しておこうと思います。
この記事では大学への批判が目立つかもしれませんが、一辺倒に大学を否定するものではありません。大学の有用性も計り知れないということを念頭に置いて、読んでいただければ幸いです。
僕が大学を辞めた理由と中退する時に考えたこと
大学を辞めるにあたって、決め手となったのは、大学への疑問とやりたいことがったことの同在でした。
大学への疑問
大学進学の理由
そもそもなぜ大学への進学を決めたのか。理由は1つで、学びたいことがあったからです。自分の知的好奇心を満たす上で、いい環境で学べるのではないかと思い、大学へ進みました。
高校3年生、青春の1年間を受験勉強に費やすよりは、他のことをたくさん経験して、あらゆることに触れてその時しか感じ得ないことを感じたいと思ったので、受験勉強はせずに指定校推薦で入学しました。詳しくはこちらに記してあります。
僕が受験勉強をやめて指定校推薦を選んだ理由 - 生かし屋さん。
指定校推薦なので無事も何もないのですが、高校3年生の時点でA評価だった、一番偏差値が高かった大学に学びたい分野があったので、選んで入りました。名ばかり進学校だったので、関東のほうの指定校推薦はありませんでしたね(笑)。
理系の学部です。晴れて4月から新生活!この時点で既に卒業後、就職をするつもりはありませんでした。
大学の「人」
入学当初、大学での「人」との出会いに、結構期待していました。大学に行けば個性的で面白い人がたくさんいて、教授も変人で色んなことが学べるんだ。今思うと幻想でしかないのは自明なのですが。
てんで期待通りではなく、大学は群れと空気が支配していました。過去にこんなことも書いていますね。
もちろん一様ではないですが、大部分のハンコのような振る舞いに、僕は馴染めませんでした。空気によって支配される群れとしての主体性を、自分の意思だと勘違いして、スイミーよろしく振る舞う人々。
別に未成年の飲酒とか単体では興味ないのですが(だめなことではあるが)、それを良しとする環境、増してやベストだと思っている人たちと価値観が合うはずがありませんでした。
教授にしても、各分野には学があるものの、不合理・理不尽を振りまく人が中にはいました。僕が直接被害を受けることはなかったのですが、見るに耐えませんでした。
例えばパソコンを使ったテストで、戻るを使用したら解答が無効になる仕様を説明しなかったり。(多くの人がこれで単位を落としたのを見ました。)その後の対応も上から目線でぞんざいでした。
他にも前時代的な持論を振りかざす人が、一人や二人ではありませんでした。学生としては、教授の采配が単位に直結することから、受け身になるしかありません。
これらから、大学の「人」に対する失望は募りました。
大学でなければ学べないか
肝心の「学び」はどうでしょう。結論から言いますと、「実験以外のことは自分で十分に学べるな。」と思いました。今までの教育過程とは大差なく、もっと短時間でできることを長々と説明する非効率的な授業。テストまで受けて、自分でできると思いました。
学年が進むにつれて、学習内容も高度にはなるのですが、ざっと見たところ、実験以外は自己学習で足る内容だと思いました。図書館には専門書も多くありますし、インターネット上のコンテンツも日に日に増えています。今の時代、オンライン講座など、一般の人が大学の講義を受けることもできますし、ところによっては質疑応答などもできます。
大学に行かずとも自分で学習できる環境は充実の一途を辿っています。
それにどうしても単位に向かって学ばなければなりません。単位に沿った学習と、当初の「学ぶ」という目的の間には、少しずれがありました。
一方で、文系科目を中心に、議論・意見交換する場としての意義が授業にはあるかもしれません。インプットではなく、アウトプットとしての授業ですね。しかしながら、多くは初歩的で取るに足らない内容に留まっています。仕事で関わると、少しいたたまれないような心持ちになります。
極めつけはテストですね。教科によっては過去問さえやっていれば解けるようなテストがあります。大学関係者ですら、過去問の例を挙げて「大学における友達の重要性」なんて言いますね。いかに授業を理解するかよりも、いかに過去問を入手して傾向と対策を把握するかに尽力する学生もいます。それも結構多く。
教科によってはあてが外れて、8割近くの人が単位を落とすのも実際目にしました。授業を理解していれば難しいものではないのですが、自業自得ですね。
安くない学費を払って、半年の学習の集大成としてのテストが過去問を見れば9割以上の点数がとれる。学費を払う親と学生を馬鹿にしている、なめているとしか思えません。
学びを基盤とする大学の一意性を、大学自身が踏みにじっています。これは偏差値が低い大学に限った話ではなく、決して高くはないですが僕が通っていた偏差値65程の大学でも、往々にして起こっていることです。
こうした憂いのもと、自分で学べると思ったのも、大学を辞めた理由の1つです。
やりたいことがいっぱいあった
大学への疑問と同時に、大学を止めるトリガーとなったのは、やりたいことの多さでした。絶対に何かを成してやるという大きな夢があったわけではないですが、趣味の多さからやりたいことも尽きず、自らの幸せを考えると、遅かれ早かれ環境を刷新する必要がありました。
大学を卒業しても就職するつもりはなかったわけですから、当の大学の役割を自分で構築した環境で担えるとなれば、前倒しになることは必至でした。
受動的・能動的の両方で多くの恩恵を受けることができる東京を拠点にしようと思い、上京の算段を立てました。今では、はやくはじめたのが功を奏し、小さなものですがいくつか夢が叶いました。
まだまだやりたいことはたくさんありますし、成したものはそこをスタート地点として、さらに進んでいきたいと考えています。はやくはじめるのは、何かを成そうとする上で大きな意味があります。
在学中にできるものや、学生であることを生かせるならばいいですが、より良い環境を求めたり、多くの時間を要するならば、大学を辞めることは選択肢の一つになると思います。
やりたいことをより良い環境でやっていくために、大学を辞めるに至りました。
大学の1年間をどう過ごしたのか
上記の理由から大学を辞めようと決意したのは1年生の前期のテストが終わった時でした。思いはじめたのはもっと前で、入学して1ヶ月も経たないうちからですね。前期は真っ当に授業を受け、群れたり騒いだりはしないですが、大学生として常軌に沿った生活をしていました。
実際に上京したのは、決意してから半年後、1年生の後期のテストが全て終了した3月でした。なぜすぐに中退しなかったのか。
辞めようと決意したとて、すぐに大学を去るのは早計だと思ったからです。3月までは辞めるかどうかをずっと考え続けようと決めました。本当に辞めて良いのか。大学のメリットは何か。デメリットは何か。思いつくかぎりを吟味して、人から意見をもらい、その度に熟考することを最後まで続けました。
それだけ時間をかけるべき選択だと思ったからです。知人・教員共に一番多かった助言は偏差値が上の大学に入り直すのはどうかという旨でした。近くなら京都大学、上京するなら東京大学だと。僕は指定校推薦と同じ理由でそれには至りませんでしたが、十分調査した上で他の大学に入り直すのも一つの手だと思います。
ただ辞めるかどうかを迷っていたわけではありません。大学は、何のしがらみもなく学ぶには最高の環境でもあります。授業や単位などは排除して、単純な場所としての大学ですね。
静かな場所・豊富な蔵書の図書館・論文の閲覧・学生を対象としたサービスや減額などなど。大学の施設や学生の身分を存分に使って、興味のあることを調べて学んだり、上京前にやりたいことの基盤を作ることに時間を使いました。
授業は興味のあるものだけ出て、必修であっても自分の目的と違うものは出席せずに上記の学びに代えました。こうして、モラトリアムの恩恵のもと、大学をフル活用しました。もちろん時には遊び、甘酸っぱい思い出も。
蛇足ですが、成績不振で大学を辞めたと思われるのが癪だったので、前期はまともにテストを受けて、全教科でA評価を貰いました。やったね。後期もテストを受けたものはドイツ語を除いてA評価でした。ドイツ語は文法と表現の2つに分かれてテストがあり、100点以外はどちらかを休んだら単位はないと先生が笑いながら言っていたので、片方を休んでもう片方だけテストを受けました。無事単位が出ていたので僕のしがない武勇伝として・・・話す機会がないのでここで自慢させてください(笑)。
休学を経て中退へ
冒頭で大学1年通って中退と言いましたが、正確には大学に1年通って、1年休学を経て中退しました。大学1年生の3月に上京した後も、休学として大学には在籍している状態ですね。映画も学生価格で見ることができるよ、やったぜ。いやいやそんな理由じゃなくって。
1年間考え続けて、決心は固く決まっていましたが、人間1年先どう考えているかはわかりません。考え続けるのは当然ですから、1年後の自分は、今の自分よりずっと成長しています。なので1年後の自分が復学をベストだと考えた時、すんなりと戻れるように、1年間は休学にしようと決めました。
休学せずとも、戻れる制度はあるようですが、よりスムーズなセーフティネットが10万円程度なら安いものです。
上京して1年間、自分の今やっていることに照らし合わせて考え続け、比べ物にならない程にいい環境で、なおも上限が見えなかったので、改めて大学を辞めるに至りました。休学から中退に至るのは、一見意味のないように見えますが、重要な選択に際して冷静な判断だと思います。
親の反応
大学を辞めるにあたって、親の反応はというと、はじめは驚いていました。膨大な学費と仕送りをもらっているわけですから、こちらの一存というわけにもいかないわけですが、平生より主体性を主張していた僕ですから、いくつか確認はされましたが、わりとスムーズにことは運びました。
最終的に決めるのは自分ですが、学歴やそれまでの投資に固執する親でなくてよかったと思っています。助言はしてくれますが、こちらの意思を尊重してくれました。コンコルド効果に陥って、学費を払ったんだから、という実のない理由だけで辞める辞めないを決めるようなことは避けないものです。
最後に
長くってくると、要領を得ない文章になってきますね。構成せずにEvernoteに書かれたひとことをもとに記事を書いている弊害ですね。折を見て追記しようと思います。とはいえ、僕が大学を辞めた理由と中退する時に考えたことの一端が記せていれば幸いに思います。
僕は大学を中退したことを、良い判断だと思っています。それはひとえに良しと出来る今があるからですが、これからも考え続けたいと思っています。大学の否定的な部分を中心に綴ってきましたが、大学のメリットもまた多大で、「学歴は関係ない」といわれはじめた現代でも、社会からの評価はまだまだ目を背けることができません。
この記事はただ僕の場合を記しただけですが、これから大学を中退しようかと考えている人の、百万ある判断基準の1つになれば、ブログ冥利に尽きると思っています。それでは。